衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

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日常開示

2018年11月11日    日曜日     第3 回の開示 合計147回の開示

菩薩の十無尽願

諸仏が世に降りて衆生を普遍的に救済し、八相成道を示現する。内容をしっかりと覚えておくべきである。兜率天宮から生まれ降り、入胎、住胎、誕生、出家、成道、法輪を転じ、涅槃する。だから仏は必ず出家者であり、僧の数に属し、在家者ではない。仏は華厳経の中で菩薩に十無尽願を発するように教えられる。その一つの願いは、菩薩は必ず広大な神通を持たなければならないということで、これは必修の内容である。神通がなければ、自分自身が成就できないだけでなく、衆生を度化することもできない。しかし神通はできれば入地してから修めるのがよく、悟りを開いてから修めても非常に無理があり、それ以前は神通を修めることを推奨しない。

菩薩の心の量が小さければ、このような広大な誓願を発することができず、たとえ発しても実行できない。心の量がどれだけ大きければ、菩薩の事業もそれだけ大きい。私たち一人一人の衆生は未来世に一つのことしかできない。つまり自らを救い、人を救うことであり、生生世世ともこのようなことであり、すべて仏事であり、三界の世俗的ないかなる追求もない。それで私たちは今、自分の心を訓練してできるだけ世間の相に執着せず、世間の個人の利益を追求せず、世間の生存利益のために人と争わないようにすべきである。財色名食睡、色声香味触、家族親族など、すべて、心の中で捨てられるものはできるだけ捨てて、こうして心が空っぽで清浄になれば、広大になり、如来蔵のような程度に広大になれば、究極に達する。

衆生界が尽きたとき、私の願いも尽きる。衆生界は尽きるのか?いつ尽きるのか?仏経の中に、衆生界は尽きるか、衆生は尽きるかと仏に尋ねる人がいたが、仏は答えていないように思われる。仏が知らないから答えられないのではなく、衆生の数は実に果てしなく、数えきれないほど多いからである。一人一人の菩薩の任務は極めて重く、仏になっても永遠に衆生を度化する事業に忙しい。十方世界の多くの衆生は無量無邊で、仏も菩薩も仏法もない世界も本当に多い。それらの世界の衆生は非常に苦しく、私たちこれらの菩薩たちが発心して度化するのを待っている。

私たちが将来衆生を度化する能力があるとき、すべてを衆生のために考え、個人の私利のために争ってはならない。菩薩たちが各自の眷属の問題や名声地位の問題で激しく争って血を流したら、それらの衆生はどうなるのか?昔発した菩提の大願はどこへ行ったのか?私たちは今できるだけ大きな願いを発して、未来世に菩提心を忘れないようにしなければならない。すべては自分の道業を成就させ、衆生を成就させるためであり、世俗的な利益のためではない。

衆生の善根と福德が成熟していなければ、仏法に出会うことができない。私たちは皆、できるだけ衆生のために善根を多く植え、衆生の善根が早く成熟するようにすべきである。もし衆生の善根が成熟していなくて、福德が足りなければ、仏が目の前にいても役に立たない。もし衆生界が尽きて、衆生がいなくなったら、仏はまだ仏国土を何に使うのか?仏が無数の仏国土を成就させるのは衆生を度化するために使うのであり、衆生がいなくなったら、仏はまだ形を留めて世に存在するだろうか?それではもう形を留めないし、仏国土も役に立たない。だから、未来の情景を見て、私たちは今また何を争う必要があるのか。すべての法は空であり、一時的に使えればよく、貪着する必要はない。

——生如法師の開示
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