我見を断つために、普段から五陰の活動を多く観行する必要がある。六根がいかなる六塵の境地に触れるときも、五陰をはっきり分け、五陰の作用を観察し、その苦空無常の性を思惟し、その無我の性を確認するよう努力する。定力をもって観行し、ゆっくりと、穏やかに、深く、細かく、少しずつ焦らず落ち着いて。このように努力し続ければ、いつか自心の障害を突破する時が来て、いつか無明を突き破る時が来て、いつか頑固な意根の知見を転換する時が来る。その時、修行は初歩的に成功したといえる。時間があり、環境条件が許す場合は、身根の活動はなるべくゆっくりとし、ゆっくりすればするほどよい。ロボットのようにゆっくりになれば最善である。その中で、心はとても静寂で細やかになり、身根の活動、識心の活動を観察すると、機械化しているように感じられ、自分のしたことではないように感じられ、少し不実在な感じがし、自我の観念が薄れ、身見や我見を断つのが容易になる。さらに身根の活動の中の識心を観察し、身識は何をしているのか、意識は何をしているのか、意根は何をしているのか。そばで補助している眼識は何をしているのか、耳識は何をしているのか、鼻識は何をしているのか、それぞれどのように生じ、どのように運行し、どのように密接に協力し、最後にはどのように移り変わり、どのように消えていくのか。識心の来処と行き先を観察し、さらに各種の心の念の起こりと消えるところを観察し、ずっと追跡して、必ず究極を見なければならない。その結果、一つは我見を断つことができ、二つは出所地を見つけ、明心して証悟することができる。
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