衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

生如法师のウェブサイトロゴ

日常開示

2018年11月26日    月曜日     第7 回の開示 合計187回の開示

悟後の転依成功に関する問題

真に徹底的に如来蔵の清浄無為性へ転依を成功させた者は仏世尊のみである。その心は完全に清浄無余となり、無明と染汚が尽きている。仏世尊は三大阿僧祇劫の修行を経て明心開悟後、自他の五蘊身心の造作において如来蔵が世間有為法を造作する際の清浄性・無我性を観察し続け、六七識が徐々に感化・衝撃を受け、次第に染汚性を清浄性へ転換し、無我性を深めてきた。まず我執を断じ、次に法執を断ち、内心が空・無為へ向かい如来蔵に近似する転依が深化し、完全な無我・無明断尽により転依が究竟した。

その他の菩薩は真に明心開悟した後、六七識が如来蔵の清浄体性へ徐々に転依を開始する。転依が一部進むごとに染汚性が削減され清浄性が増し、菩薩の智慧が成長し果位が段階的に上昇し、最終的に成仏する。

真の開悟でなく解悟や仮開悟(単に密意を知り結果を把握するのみで実修過程を欠く場合)、如来蔵への転依とは無縁である。如来蔵を証得せずその働きを現前観察できず、清浄性の実態を知らぬため、六七識が模範を見出せず随学できず、心は清浄化しない。

模範の力は絶大である。朱に近づけば赤く、墨に近づけば黒く、如来蔵に近づけば必ず如来蔵の如く無我・清浄となり、有為の中にあって心は無為となる。如来蔵を真に証得しなければ五蘊と煩悩に近づき、心は清浄化・無為化できない。

現代仏教に退転の説が流行する理由は、多くの者が真修実証せず、参究過程や我見断ちの観行を欠き、禅定不足・思惟不慣れ・不真実な悟り(結果のみの伝聞や推測)に留まるためである。実際には如来蔵に至る修行さえ行っておらず、退転や転依の議論自体が成立しない。転依成功を以て開悟と定義するなら、成功前は解悟に過ぎず証悟ではない。

——生如法師の開示
前の記事前の記事

悟りは退転するかどうか

次の記事 次の記事

仏が説く観無量寿経における三輩九品往生

ページのトップへ戻る