衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

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日常開示

2018年12月05日    水曜日     第1 回の開示 合計219回の開示

各レベルの人には各レベルの法がある

明心した後、本当の大乗菩薩になる。もし心性が明心の前に本当に回転していなくて、合格した大乗菩薩の心性を備えていないなら、本当の大乗菩薩になるのは難しいか、あるいはできない。菩薩は菩薩格を持つべきで、人は人格を持つべきで、仏は仏格を持つべきで、それぞれの心性はそれぞれの果位に応じるべきで、これが正常である。そうでなければ、偽菩薩、偽仏になる。人格を備えていない人も、完全な人ではなく、本当の意味での人ではない。

菩薩は無量劫にわたって十方諸仏菩薩に学び受けている。法を正しく説く部分は十方諸仏の法に属し、誤って説く部分は自身の修証がまだ不完全な法に属する。仏法は一尊の仏に帰属することはできず、さらにある菩薩に帰属することもできず、凡夫はさらに仏法を持つことはできない。仏法を持つのは仏で、菩薩法を持つのは菩薩で、凡夫法を持つのは凡夫である。各レベルの人には各レベルの法があるので、各人は大心を発し、早く仏法を備えるようにして、早く仏になることができる。

法の観察について、最も究極なのは仏で、菩薩が悟った後の観察でも完全に究極できなくて、程度が足りない。だから、菩薩の証悟は無数のレベルに分かれており、一瞬にして全ての法を悟ることはできず、最も徹底的に悟ることもできない。菩薩の福德が異なり、禅定が異なり、智慧が異なり、悟るレベルも異なる。一定の時期になると、菩薩が四禅八定を修めない場合、以降の法を悟ることができず、制限される。極めて多くの仏法は極めて深い禅定を通じて悟るものである。

一部の人は偏に禅定の作用を否定しようとする。菩薩が禅定を修めない場合、道業は根本的に進展することができず、ある位階やレベルで行き詰まって進むことができない。細法と極細法は禅定の神通の配合がなければ、証得することができず、完全に証得することもできない。甚深の智慧も極めて深い禅定と神通の配合の下で証得するものである。

——生如法師の開示
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