衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

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日常開示

2019年02月16日    土曜日     第5 回の開示 合計410回の開示

意根に念心所有り

意根がもし念じない法ならば、意識如何にして念ぜん。意根が念ずる法相と接触し、了別し明らかにせんと欲し、如来蔵が随順して意識を出生せしめ、意識は意根の指令に従い意根の念ずる法を了別し念じ続く。もし意根が法を念ぜずば、法と接触せず、了別と造作を欲せず、如来蔵は意識を出生して更なる行為を為さしめず、意識が法を念じ続くることも無し。

意根が何の法を念ぜずば、何の法も現れず、意識の念ずる法は全て意根の念ずる結果であり、意根が安排し調動した結果なり。意識は意根の触縁無くして出生できず、意根の思心所の決定無くして出生できず、意識は単独で自身の出生と一切の活動を決定できず、作主識たる所以に非ず、自在ならざる所以に非ず、意根の工具にして意根の調遣に従う。

五識にすら念心所有る。況んやかくの如く伶俐にしてかくの如く重要なる作主識においては、更に念心所有るをや。

——生如法師の開示
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