初地に証入していない人を凡夫異生と呼び、初地を証得した人は聖人となり、異生性を滅ぼし、もはや生死の悪業を作らない。生死の染汚業種を断ち切っていない衆生はすべて異生に属する。この一つの寿命が終わると、また次の生命があり、ただ別の時間、別の場所で生まれる。天上か、人間か、地獄か、餓鬼か、異時異地に生まれるのである。初地の菩薩も凡夫異生も分段生死がある。たとえば人は一生百八十年、あるいは千八百年生き、寿命が終わると、次の世がある。生死は分段的で、これを分段生死という。初地の菩薩が天界に生まれれば、寿命は極めて長い。人間に生まれれば、寿命は凡夫の衆生と同じで、分段生死がある。願力によって畜生道に生まれれば、寿命も畜生のように短く、分段生死がある。分段生死のほかに変易生死もある。いわゆる変易生死とは寿命が極めて長いが、如来蔵の心中にはまだ生死の染汚種子がすべて滅ぼされておらず、なお生死業を感じることができ、永遠に生死の仮相を滅ぼすことができず、心中の生滅種子は仏地に至る前には断ち切ることができない。したがって変易生死がある。
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