衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

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日常開示

2018年12月01日    土曜日     第5 回の開示 合計205回の開示

善き菩薩の基準とは何か

修行を速やかに進め善き菩薩となるには、人と話す時は柔和にし、言葉を鋭くせず押し迫るような態度を避け、諍いを善く調和させ、可能な限り衆生を結束させ摂受すべきである。菩薩の四摂法は尽力して実践し、衆生を摂受することを第一とし、敵を作ることは菩薩の大忌である。菩薩の目には敵対すべき存在はなく、全ての衆生は自らが摂受すべき対象である。故に道場を戦場と見做し、舌戦を止めず勝敗や優劣を争ってはならない。

各人の内心にある「我」を厳格に管理し、常に鋭さを露わにせず、強い我心で他人を怒らせぬよう、自らを降伏させ我を隠すべきである。煩悩を調伏することが真の修行であり、常に他人を降伏させ圧倒しようとするのではない。菩薩の心性は柔和で、他人には情に訴え理を説くべきであり、理にかなっても人を許さず、時に一歩譲ることで却って人を折伏摂受できる。

人を度し修行するには剛柔併せ持つ必要がある。自分には剛を、逆境には剛を、人には可能な限り柔を以て接し、衆生を周囲に摂受し一体化すべきである。言葉で人を千里の外に遠ざければ、衆生を離反させ善縁を結べず、合格な菩薩とは言えず衆生を摂受できない。

心性が剛であれば折れやすく暴れやすく、心性が柔らかければ曲がっても折れない。菩薩は弾力性を持ち、曲がるべき時は曲がりつつ元の位置に戻り変化せぬべきである。菩薩は本来、諸々の諍訟を調和させ、常に紛争を引き起こさぬよう心掛ける。善き菩薩となるには柔順と調和を学び、衆生を摂受する術を習得することが必須の課程である。理にかなって人を許さぬことは菩薩の大忌であり、言葉が鋭く押し迫る態度は菩薩の大忌である。これを犯せば衆生から遠ざかり悪縁を結び、菩薩の四摂法に背くことになる。

——生如法師の開示
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