衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

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日常開示

2018年12月11日    火曜日     第4 回の開示 合計235回の開示

随眠煩悶に対してどのように対処すべきか

誰もが自分自身で知らないか、あるいは観察しにくい随眠煩悶を持っている。一定の因縁条件下で初めて現れる。これらの随眠煩悶は、積極的に社会活動に参加してそれを現れさせる方が良いのか、それとも閉門独修してそれを現れさせない方が良いのか。

煩悶随眠は主に煩悶の習気を指す。貪、嗔、痴、慢、疑、悪見が煩悶である。これらの煩悶は、初禅定がなく、三果まで修えない限り、断除できない。因縁があれば必ず現行してくるが、人によっては軽く、人によっては重い。煩悶随眠とは、煩悶の習気が識心に眠って隠れており、容易に発見できないことを意味する。この習気は初地菩薩から断じ始める。凡夫と阿羅漢たちはまだ断る能力がない。煩悶現行が重すぎる場合、禅定を多く修め、无我の理を多く思惟する必要がある。もし自分で発見できないのに、降伏したい場合、人群の中で自分を多く鍛錬し、他人が指摘してきたことを聞き入れることができ、善く随順できるようにする必要がある。他人が指摘してきたことを見て、嗔恨を起こし、悪行を造作するような場合、人群の中に行くことを少なくする。そうでない場合、人群の中で自分の身口意行を反观し、他人の勧告を虚心に聞き入れる。

煩悶を降伏することと断除することは、皆、歴縁対境の中で、煩悶の現起を発見し、回光返照して、その場で断ち切ることである。人群から遠ざかると、煩悶は容易に現前しないので、発見できない。そうなると、煩悶は心の中に隠れて、断除する因縁がない。他の仏国土に行った場合、皆、順境で、煩悶は現起する機会がないので、断除が難しく、修行が遅い。生活はとても快適であるが、道業の進歩は遅い。

——生如法師の開示
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