衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

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日常開示

2018年12月11日    火曜日     第5 回の開示 合計236回の開示

意根が内外の四大に対する執着性の違い

凡夫の意根には遍計所執性があり、遭遇する全ての法に対して執着が生じる可能性がある。ただ、執着の重さ、急ぎ具合、方式が違うだけである。意根が最も執着するのは色身と六識の機能作用である。なぜなら、これらの法は生き生きとしており、意根はこれらの法にとても近く、一瞬も離れることができず、これらの法に依拠して初めて自分を示すことができるからである。意根は内の四大から成る色身を「我」として、「私の」ものとして執着する。色身は意根に対する影響が最も大きく、最も直接的で、密接に関係しており、意根の「我」の生命特徴を代表し、また直接的に制御できる。だから意根は最も色身に執着する。

しかし、意根は外の四大で構成される物質色法と宇宙器世間にも執着する。これらの法を自分が所有するものと見なし、自分がこれらの物質色法を享受できると考える。これらの法は意根にとって、密接に関係して一瞬も離れられないものではなく、ただ色身の生命に必要なものに過ぎず、直接的に制御することは難しく、意根との関係はやや疎遠である。外の四大に執着するのも内の四大のためであり、本質的には内の四大に執着することである。だから意根は外の四大に対する執着は色身に対する執着よりも軽微である。もし一人が物質色法に対しても非常に重い執着を持つなら、これはこの人の貪執性が重すぎて、解脱が難しいことを示している。

——生如法師の開示
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