衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

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日常開示

2018年12月16日    日曜日     第4 回の開示 合計249回の開示

仏教を学ぶ人は外道の法を用いてもよいのか

いわゆる外道の法とは、如来蔵に属さない法で、如来蔵の心から離れて語られる法のことを指し、これを外道の法と呼ぶ。多くの外道の法は仏教を学ぶ人にとって大きな役割を果たすので、役立つ外道の法を排斥してはならない。医者が患者を治療するのも外道の方法であり、我々は外道の方法を捨てて、ただ如来蔵の法だけですべてのことを解決することができるだろうか?明らかにできない。外道が食事をするように我々も食べなければならないし、外道が地球上に生活しているように、我々も地球を離れることはできない。外道が空気を吸うように、我々も同じ空気を吸わなければならない。我々は無始の劫以来、決して外道の法から離れたことがなく、仏教を学んだ後も、外道と同じ法を修行する必要がある。これは必然的なことである。外道は如来蔵の法と五蘊無我の法を持たない以外は、他の法はすべて備えており、我々も備える必要がある。例えば、外道の出離心、解脱心と禅定、そして色身の問題を解決する様々な方法は、我々にとって非常に学ぶ価値がある。我々にとって役立つ限り、我々はそれを用いるべきである。実際、すべての外道の法は如来蔵の法であり、医者が患者を治療することも、実は如来蔵が病気を治したのであり、本質的にはやはり如来蔵の法である。どんな人や法も如来蔵から離れることはできず、すべては如来蔵によって生まれたもので、本質はすべて如来蔵である。

——生如法師の開示
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