意識と意根は二人の人間に例えられる。一人が他者の心理を観察できない時、その者が特定の心理や思考・感情を持たないと断じることは過誤を犯す。したがって意識は煩悩に制約され、識を智に転成していないため、意根の諸機能作用を観察し難く、観察できない場合は意根に対する結論を下せない。
ある法の基準が不明確な場合、二つの法を比較し、甲が乙に合致せず不一致だからと言って甲が誤りだと判断するのは軽率で理知に欠ける。乙が必ずしも基準でも正しくもないため、甲が乙と一致しないからと言って甲が誤りだと断定できない。
智慧が卓越し、甲と乙を理解し、正しい基準を知る者であれば、甲が正しいか否かを判断し結論を下せる。同時に乙の正否も判定できる。これを「法に依り人に依らざれ」と称する。逆に、法の究竟たる基準を知らず、甲と乙が基準に合致するか判断する智慧がなく、一方的に乙を基準と決めつけ(大衆が公認するから)、甲が乙に合わないため甲は必ず誤りだと断定する場合、これは完全に「人に依り法に依らざる」状態であり、情執の心理、無明の心理に属する。
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