衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

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日常開示

2019年01月02日    水曜日     第2 回の開示 合計292回の開示

飲食の内外塵は如何に生滅変化するか

飲食という法は必ずしも意根の執着ではない。仏が人間界に示現した際にも飲食活動があり、諸大菩薩たちも食事を摂るが、彼らは飲食に貪着心がなく執着しない。ある衆生の飲食は意根の執着に起因し、色声香味触法に貪着するが、仏も菩薩も貪着せず、では飲食は何のためか。色身を滋養し、色身に正常な五蘊活動を維持させ衆生を度化するためである。凡夫の飲食は一方で色身の保養、他方で貪着性を顕現し自らの貪瞋痴を表す。仏菩薩の飲食過程には貪瞋痴煩悩が存在せず、これが仏と普通の衆生の相違点である。

飲食は地水火風四大種子で構成され、咀嚼しなくても刹那刹那に生滅変化する。四大種子が生起し刹那に如来蔵に滅帰し、再生起して滅帰することを繰り返す。咀嚼された飲食も四大種子で構成され、細かい微粒となり最小単位に至っても永遠に四大種子の組み合わせであり、刹那生滅を続ける。

衆生の舌根・口腔・歯が接触する飲食は外塵であり、舌識・身識が感じる飲食は内塵である。歯が外塵を粉砕すると、身識が触れる内塵も粉砕され、最終的に外塵は微粒子化して腸胃に入る。身識と意識が触れる内塵も腸胃に入り、代謝によって飲食が消滅し排泄されると内塵は消失する。同様に舌識と意識が弁別した内味塵は口腔から食道に入ると感知されなくなるが、腸胃内では変異した外味塵と内味塵が残存する。舌識は感知できないが代謝・排泄後に完全に消滅する。これらの外塵と内塵の関係、如何なる変化を遂げるか?

——生如法師の開示
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