衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

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日常開示

2019年01月02日    水曜日     第3 回の開示 合計293回の開示

色塵の本質とは何か

眼識が認識する色塵は全て刹那生滅する。これは何を意味するか。色塵が一刹那に生じ一刹那に滅し、再び一刹那に生じ一刹那に滅するという連続的過程によって、無数の断続的色塵図形が構成されることを意味する。これらの図形が極めて多く高速で連結されるため、眼識は色塵が無数の図形の連続によって形成されていることに気付かない。各図形は静態的であるが、連続すると動態的であるかのように見え、不断に変遷しているように錯覚される。実際は断続的であり、映画フィルムと同様に、再生時にフィルムが高速回転することで連続的物語が形成され、これを映画・テレビと呼ぶ。

映画と呼ばれる所以は、電気によって放映される影であり、その中に登場する人物・風景・物品は全て実体を持たない影である。眼識が認識する一切の色塵は影のように非実在であり、真実に類似した仮相であり、静態的であるが動態的と感覚される。故に我々は眼が認識する色法に実在性や実作用を信じてはならない。影は畢竟影であり実物ではない。テレビと呼ばれる所以は、通電によってのみ継続的に現れる影を視認できる点にある。では色塵が意識によって認識される場合にも通電が必要であるとすれば、この「電」とは何を指すのか?

——生如法師の開示
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