理論も実修の一部であり、最も重要な部分である。学理を非実修と見なしてはならない。学理は正しい知見を得る主要な道である。正しい知見による指導があってこそ、正しい方法を採用し、正しい方向へ進むことができる。生死の解脱は正しい知見と正慧に依存し、仏道の成就は正慧に依存する。世尊が在世の時、弟子たちに説法伝法するだけで、たまに禅定を教えることはあっても、具体的な修行方法を指導することはなかった。弟子たちは法を聞いた後、一人で清浄な場所を探し、世尊が説いた法理を観行し思惟した。思惟が通じれば法眼浄を得て証果した。多くの人々は世尊が説法している最中に証果したが、それは聴きながら同時に思惟したからである。故に世尊は説法前に常にこう述べた:「諦聴せよ、諦聴せよ、善く思念せよ。我まさに汝らのために分別解説せん」と。
10
+1