衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

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日常開示

2019年01月11日    金曜日     第1 回の開示 合計316回の開示

選法眼とは何か?

七覚支のうち二番目が選法覚支である。この段階まで修めば選法眼が得られ、接触した法が正しいかどうか、接触した法師が道を持っているかどうかを知ることができ、それから正しい選択をすることができ、間違った道を進むことがない。これは果を証し開悟する前に備えるべき覚悟性であり、そうでなければ果を証することも、開悟することも、道を得ることもできない。

まだ選法覚支まで修めておらず、選法眼を得ていないときは、修行はまだ十分ではなく、福德、定力、知恵が欠けている。師が知恵を持っているかどうか、知恵の程度はどうかがわからず、法の正誤、正邪がわからず、頭の中が混沌として開かず、正法に出会っても学ぶことができず、邪法に出会っても避けることができず、正しい知見を得ることができない。選法眼がない人の中には、疑蓋を除かず、法も師も疑う人がいる。法と師について確信が持てないため、このような修学では進歩も成功も望めない。疑心が強いことは善法ではなく、福德が欠けているからこそこのようになる。識別する能力があって初めて疑いを除き、道業を進めることができる。

真に唯識を通達した後で初めて、弥勒菩薩のような境地に達することができるが、これは一朝一夕のことではない。最低限、第八識を証得しなければならず、その後は禅定の修証を合わせ、煩悩を断ち、煩悩の習性を断ち、徐々にすべての法を証得することができ、無明を尽くすことができる。ヨガ師地論にあるすべての法は、実証を要求するものであり、基礎的な法を証得していなければ、上のレベルの法を証得することができず、さらに上のレベルの法を証得することはもっと難しい。

だから、唯識を学ぶには、必ず大きな心を持って心を明かし性を見ることを目指し、着実に菩薩道を歩まなければならない。内門と外門の菩薩六度をすべて修行して満たさなければならない。本当に衆生に利益をもたらすことができる大心の菩薩になることを誓い、仏力の加持の下で、唯識学を修了し、妙覚菩薩の果位に到達し、仏になるのを待つことができる。仏道を学ぶのは理論だけを学ぶのではなく、仏の清浄な大願を学び、仏の衆生に対する慈悲喜捨の心を学び、仏の戒定慧を学び、仏の甚深な禅定を学び、仏が備えるすべての功徳を学び、実践して初めて、我々自身が仏になることができる。

——生如法師の開示
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