世尊が在世の時、弟子たちに仏法を伝授する際には、当面修学すべき法を説いた後はそれ以上干渉せず、残りのことは弟子たちが独立して行うことになっていた。当時の弟子たちは、世尊の説法を聞いた後、静かで人の邪魔を受けない場所を見つけ、自ら定中で観行し思考していた。世尊は一度も具体的な修行の指導をしたことがなく、弟子たちを連れて仏七や禅七などを行ったこともなく、何の「七」も行っていなかった。弟子たちはすべて自ら仏法を思考し観行し、一人で修行し、共修することはなかった。
仏法を修学するには、最大の利益を得るためには、自ら多く思考し多く観行しなければならない。できるだけ他人に法を細かく説明してもらわないようにしなければならない。自らの観行が少なければ、利益も少なくなる。それぞれの人がどれだけの努力を払ったかに応じて、得られる利益も決まる。多く観行し、多く思考し、間違いを恐れることなく、間違ったら振り返って他の方向に努力し、あらゆる面を観行すれば、知恵が生まれる。観行から知恵が生まれるが、観行は自分自身のことであり、他人に代わってもらうのは避けるべきである。大きな志を持ち、既成のものを求めるのではなく、自ら多くの精力と心血を注ぎ、多く思考し、自ら修行し自ら得る。他人が修行して得たものは自分のものではなく、修行しなければ何も得られない。修行して実証した後で初めて、大きな知恵を得ることができ、真の解脱の功徳を享受することができる。
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