衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

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日常開示

2018年10月09日    火曜日     第3 回の開示 合計42回の開示

一切の法には意根の選択作用がある

私たちの身体の活動は意根が大脳を調整して作用させるもので、六識の協力がある。例えば朝、目を開ける時、目は自動的に開かず、意根が命令を出し、六識を調整して目を開ける。例えば食事をしている時、意根は腹がいっぱいになった信号を知り、食べるのをやめることを決め、六識に食べるのを止める命令を出し、六識は命令に従って食べなくなる。これも意根が大脳を通じて全身の活動をコントロールできることを証明しており、全身の活動はすべて六識の活動である。例えば顔が真っ赤になり、首が太くなり、怒り狂って暴れ、腹を立てて手を出し、嬉しそうに笑い、心が躍るなど、すべて意根の煩悩や感情のために現れるもので、意根が操る結果である。

意根は何に基づいて命令を出すのか?色身の状況について、意根はなぜそんなに正確にそんなにタイムリーに把握できるのか?色身の中の一切の法は如来蔵が変現して執持するもので、食事がどの程度まで進んだら、如来蔵は刹那に如実に反映し、意根は如来蔵に依れば何でも知る。意根が知った後、選択心を生じ、一種の決定をし、そして命令を出す。もちろん意根が六塵の境界を知り、身体の詳細な状況を知るのは、六識によって了別される。昏睡している時や眠っている時の身体の状況も、如来蔵は刹那に如実に反映し、意根はタイムリーに知る。これらの時には意識は全くなく、意根が如来蔵に依って単独で知るものである。

例えば突然知人に会った時、意識はどうしても相手の名前を思い出せないが、まだ相手の名前を知っているような気がし、とても馴染みがあり、口に出せばすぐに言えそうな感じがする。このような場合は意識だけが思い出せないだけで、意根が相手や名前を知らないというわけではない。相手が去った後、意識は突然思い出す。なぜ意識は思い出せるのか?やはり意根が意識に一定の情報を与えたから、意識は突然思い出す。一切の法の運用には必ず意根の作用があり、必ずしも意識の作用があるとは限らない。もしある機能作用について、意根の作用があるかどうか、意根の作用の大きさがわからないなら、六識がないいくつかの状態を考えて、意根はどのように働いているかを考えてみよう。

——生如法師の開示
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