衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

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日常開示

2018年10月02日    火曜日     第3 回の開示 合計8回の開示

父子合集経選講

衆生が見聞が狭く智慧がないのは、彼らが経を聞いたり法を学んだりしないからで、見聞が少なく、仏法の真の意味や世の中の真理を理解していないため、智慧がない。私たちが智慧を得たいならば、仏法を多く学び、経を多く聞いて法を学び、経典に深く入り込んでこそ、智慧が生まれ、智慧が海のようになる。仏の言葉を多く信じ受け入れ、経を多く聞き法を多く学び、一つの道理を理解すれば一つの無明が破れ、愚痴が一つ少なくなり、身口意が清浄になれば、心は楽しくなり、煩悩がなくなる。

見聞が狭く智慧のない凡夫は、気に入る触に対して愛楽を生じる。気に入る触とは、意識を非常に喜ばせ楽しませる身体の触受で、妙触という。例えば、身体が柔らかい服、暖かい太陽、快適なベッドに触れる。その中で最も主要なのは男女の間の触で、欲界は主にこの触によって成立した世界である。身根と身識が触れるものを触塵という。例えば、暖かく快適な太陽が身体に触れたり、冷たい風や熱い風が身体に触れたり、柔らかい硬い服が身体に触れたり、身識に感覚があれば触といい、触れる法を触塵という。また、お腹が空いたり喉が渇いたり、胃の感覚も触で、これらはすべて触塵である。例えば、座っている時間が長くなって疲れを感じたり、疲れも触塵で、座禅して身体が軽安を感じたり、身体がとても気持ちよくなったり、これらはすべて触塵である。

凡夫の衆生は最も気に入る触受に貪着し、男女の触を主とする。男女が互いに触れ合うと、心に愛楽心、貪愛心が生じ、そして心が染まる。これは意識心を主とする貪愛で、眼識、身識も含まれるが、主に第六意識の感覚を主とする。意識心が染着した後、業を造作し、心に愛楽が生じた次のステップは肯定的に業を造作することになり、業行が現れる。修行していない人は身口意の愚痴の業行が現れ、ある修行者は時々内心に染着はあるが、身や口の業行を造作しない。最も修行のある人は心さえも染着しない。造作される業行には、身業が三種類造作できる。殺生、盗み、邪淫。口業には妄語、綺語、両舌、悪口の四種類がある。意業は三種類で、貪欲、嗔怒、愚痴である。

——生如法師の開示
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