衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

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日常開示

2018年10月24日    水曜日     第4 回の開示 合計88回の開示

大乗顕識経講解

原文:

爾時。諸比丘。在世尊所。多有疲睡。失容阿委。不能自持。於是世尊。面門暉發。如蓮花開。時諸比丘。鹹悉醒悟。各自嚴正。作如是念。今佛世尊。顔容暉煥。面光照朗,。欲開何法眼。作大饒益。

釈:この時、比丘の弟子たちは世尊の講堂において、多くが少し疲れており、眠気に襲われ、顔色が萎れ、もう我慢できなくなり、すぐに眠ってしまいそうです。仏は上で説法していますが、下の比丘の中には既に疲れて眠くなっている者もおり、態度が端正でなく、あくびをしたり居眠りをしたりして、身体の姿勢を保つことができなくなっています。

世尊はこのような状況を見て、これらの比丘たちを目覚めさせるために神通を現します。「面門暉発」とは、顔が蓮の花が開くように輝かしいことを意味します。この時、比丘たちは仏が神通を現して光彩を放つのを見て、全員眠気がなくなり、元気が満ち、それぞれ身体の姿勢を正し、「仏は今神通を現し、顔色が光り輝き、明るく照らしています。一体どんな大法を説き、衆生に大きな利益を与えるのでしょうか」と思います。

原文:爾時。賢護勝上童真。修容豐美。柔和光澤。色相具足。六萬商主。前後圍繞。侍從轟鬱。聲如地震。來詣佛所。見佛世尊。寂靜安隱。衆德之藏。巍巍赫朗。如大金樹。深心信重。合掌思惟。作如是念。衆共稱贊。佛一切智。普見一切。是如來阿羅訶。正等覺。誠實不虛。頂禮佛足。諦視而住。

釈:この時、在家の者で賢護勝上童真と名付けられた者がいます。「童真」とは、彼がまだ童子の身であることを意味します。「勝上」とは、この人が比較的殊勝で、福德の面であれ、智慧の面であれ、一般の人を超えていることを示します。彼の外見は容姿が整って美しく、柔和で光沢があり、色相が完璧で美しいです。ここでは、賢護菩薩が前世に修めた福德が大きく、それゆえこのような荘厳な色相を感得したことを暗示しています。六万の商主たちが前後を取り囲んで彼をお供し、彼の世話をする従者も多く、人々が一緒に歩くときの音声が地震のようです。これは賢護菩薩の福德がどれほど広大で深いかを示しています。

この時、人々が一緒に賢護を囲んで仏が説法を行う場所に来ます。賢護菩薩は世尊が自らの座に端然と座り、静かで落ち着いており、和やかな表情の中に巨大な威徳の徳蔵を秘めているのを見ます。仏の五蘊の身において、言葉遣いや行動、表情には、数え切れない仏の徳行が隠されており、至る所で仏が諸徳の蔵であることを示しています。仏の外相である三十二相は、堂々として威厳があり、慈悲で和藹で、輝きがあり、明朗で、大きな金の木のようです。

賢護勝上童真は仏がこのような相好荘厳であるのを見て、世尊に対して深い敬重の念を起こし、それで合掌して思惟し、こう思います。「すべての衆生が共に仏の徳を称賛しています。仏陀の一切智はすべての法を見ることができます。」小乗によれば、一切智は仏が三界の生死輪廻から解脱できる智慧を代表します。仏の大乗法の一切種智は、仏陀が世間出離世間のすべての法を証得したことを代表します。仏の無垢識に含まれるすべての種子の機能作用を、仏陀はすべて余すことなく知っており、一つの法も知らない、理解しないことはなく、これを一切種智と言います。

賢護菩薩は続けて考えます。「世尊は確かに如来阿罗诃正等觉で、真実で虚偽がない。」賢護菩薩は世尊が仏の十号の功徳を具足していることを称賛します。仏の十号は、如来、应供、正遍知、明行足、善逝、世间解、无上士、调御丈夫、天人师、佛、世尊です。それで賢護勝上童真は仏の足を頭で礼し、世尊を入念に瞻仰します。

——生如法師の開示
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