衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

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日常開示

2018年12月02日    日曜日     第2 回の開示 合計207回の開示

意識が思惟する過程は意根を転換する過程である

我見を断つには証拠が必要で、証拠が確実でなければならない。意根の習気も重過ぎず、無明が深重でないことが必要である。もし意根が非常に愚癡であれば、全ての証拠を提示し証拠が確実であっても、意根は依然として元の理屈を固持し、我見を断つことができない。意識が絶え間なく観行し思惟する過程は、意根の愚癡無明を不断に転換する過程であり、意根の無明が幾分薄れて初めて事実を認めるようになる。そうでなければ、事実が明白に目の前にあっても役に立たない。

——生如法師の開示
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無縁無故の心理的な情緒は全て意根のものである

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