衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

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日常開示

2019年01月05日    土曜日     第1 回の開示 合計298回の開示

悟前における種子浄化の可能性

業種の浄化は一般的に煩悩を断除した後、煩悩業を造作しなくなって初めて可能となる。煩悩習気を断除する過程において、習気が一点断たれるごとに業種が一点清浄となる。煩悩が断尽していない段階では、身口意行がなお悪業を造作するため業種は浄化されない。悟前にあっては諸法実相を証得せず我見が残存し、我を執着するが故に我によって悪業を造作し続け、業種は清浄化され得ない。悟後に真如を証得し、諸法の性空を知り、五陰無我を体得して初めて漸次煩悩を降伏させ、我による悪業造作が減少していく。入地後に至って顕著な悪業の造作が止み、種子の清浄化が始まるが、煩悩習気と無明が残存する限り微細な悪業不善業の発生は免れない。

学仏者は自心を反観する習慣を養成すれば、速やかに煩悩を降伏させ得る。その後も煩悩断除に努め、初禅定を修得して初めて漸次煩悩を断除し始める。さもなくば煩悩を抑制するのみで、縁に遇えば再び貪瞋痴業を造作する。我見を断ち明心した後、初禅定を有する者にのみ煩悩断除の能力が生じ、それ以外は全て煩悩の抑制に留まり根絶に至らない。根が残存すれば再び煩悩の草が生じる。汚水を湛えた池を清浄にするには、最低限新たな汚水を注ぐことを止めねばならず、その後で初めて汚水の浄化方法を講じ得る。引き続き汚水を注げば清浄化は不可能である。故に種子の浄化は悟後に成立し、悟前は煩悩を抑制し悪業造作を極力控えるのみである。

——生如法師の開示
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種子は実有であるか否か

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