衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

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日常開示

2019年01月22日    火曜日     第3 回の開示 合計342回の開示

定と慧を同時に修めることの重要性

シャーマタは、止めであり、また定でもあります。ビプラシャナは、観であり、また慧でもあります。定と慧を等しく保持し、止と観を組み合わせることで初めて、大きな知恵が生まれます。これは菩薩が修行する方法です。止めだけで観がない場合や、観だけで止めがない場合、どちらか一方に偏ると、大きな知恵は生まれず、仏法を実証することができず、正しい知恵を得ることができません。ただ仏法を理解し、知識を得ることができるだけです。これは、仏が語る戒定慧の三無漏学のうちの後の二者であり、また仏が語る菩薩の六度のうちの二つでもあります。

もし誰かが長年にわたって座禅して定を修めているが、心を起こさずに仏法を探究しない場合、永遠に悟りを得ることができず、解脱することができません。もし誰かが知識を吸収することに偏り、広く学び多くを聞くが、禅定を修めず、心が散乱して浮かれており、禅観に深く入らない場合、同じく永遠に仏法を実証することができません。せいぜい仏法を理解し、知識を得ることができるだけで、心を解脱することができず、三縛結を断つことができません。知識は永遠に証量を代替することはできません。しかし、素人はそれを見分けることができず、多くは知識や学問を崇拝する見識のない人ばかりです。

——生如法師の開示
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