衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

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日常開示

2019年01月29日    火曜日     第2 回の開示 合計358回の開示

人性は本質的に善か悪か

人間の根本性とは、人が生まれながらに持つ心の性質を指し、一つは意根の心性、もう一つは如来蔵性である。後天的に薫習された本性が意識の心性である。人間性の根本を五蘊の上から見るなら意根にあり、全体から見るなら如来蔵にある。一人の心性の表現を見るには、意根を見るべきであり、意根が根本であり、意識は枝葉である。意識の枝葉が繁茂すれば意根の根本を覆い隠すが、意識の枝葉には必ず凋落する時が来る。その時、意根の根本は完全に露わになる。

五蘊の上から見るのは意根の心性であり、本質から見るのは如来蔵の心性であるが、一般的には五蘊の心性を見る。意根が無始劫以来どのような性質であるかが、その人性の性質となる。意根がどのような心性であるかが、人性の心性となる。畜生がどのような心性であるか、鬼神がどのような心性であるか、阿修羅がどのような心性であるか、天人がどのような心性であるか、さらには羅漢がどのような心性であるか、辟支仏がどのような心性であるか、菩薩がどのような心性であるか、仏がどのような心性であるかも、すべて意根による。意根よりさらに根本的なのは真心如来蔵の心性である。故に、人性の本来性とは如来蔵性である。

——生如法師の開示
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