衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

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日常開示

2019年02月01日    金曜日     第1 回の開示 合計366回の開示

如何なる衆生が菩薩に度化され得るか

菩薩は覚有情なり。自ら既に覚りある有情たり。然る後、他の有情を覚醒せしめ、自利のみならず利他を成す。菩薩はまた大心の衆生たり。個人の安楽を求めず、唯衆生の苦離るるを願い、心量広大にして一切を包容す。弥勒菩薩の如く、大肚能く天下の容れ難き事を容る。真の菩薩の眼中に是非なく対立なく、内心通達し一切の人事物と怨対せず。菩薩は全てを自己と見做し、自心の影像と観じ、心外に物無し。菩薩の眼中に悪人無く、唯因縁未成熟で暫時教化不能の衆生あるのみ。

菩薩が衆生を観るには、表面の善悪を見ず、実質に重きを置く。善根・潜能・福德・因縁・智慧を観る。観音菩薩は常に各種の形相を変化し衆生を度化す。然れども度化する衆生は必ずしも表面の善人に非ず、因縁成熟の者なり。因縁成熟の者は表面悪と雖も、善根は無比深厚なり。度化後は善を造る力度、小善人の百千万倍、甚だ無量倍に勝る。『楞厳経』中の一淫女は世尊に度化され四果阿羅漢と成り、其の善人たちは依然凡夫なり。勇施比丘は重戒を犯せども世尊に度化され開悟の大菩薩と成り、戒を護る比丘たちは依然凡夫なり。唐代の鹿殺しの狩人、出家因縁成熟の時禅師に遇い、数句の問答により比丘と為り修道し、間もなく明心悟道せり。

故に善悪の事は論じ難く、衆生の根性も測り難し。往々にして悪人と看做される者、善根深厚・智慧高く縁に遇い修行すれば非常な速さを呈す。心性通達せぬ小善人は後方に追走すれど及ばず。仏は智慧解脱・智慧成仏を説く。心性通達し一切を包容すること即ち智慧なり。

我々の如来蔵を見よ。一法とも対立せず、常に一切の人事物を包容す。善悪是非の如何を問わず、衆生の為すこと全てを許容し、悉く随順す。衆生が天に昇れば随順し天に昇り、衆生が地に入れば随順し地に入る。かくして一切法を円満成就す。何れの法も滞り無く顕現し、直に遇えば直と為り、曲に遇えば曲と為り、方に遇えば方と為り、円に遇えば円と為る。心性剛直ながらも彎曲に随順す。かくの如くして永く卒暴せず、永く摧砕されず、永く生滅せず。心性通達なれば無量の福徳と智慧徳能を有す。

——生如法師の開示
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