衆生に五色根の有無に関わらず、意根は如来蔵に依って一切の法を縁ずることが可能であり、如来蔵が一切の法を見られれば足りる。如来蔵が外六塵を縁ずる際、外六塵の四大微粒を摂取し、即座に外六塵と全く同じ影像を形成するため、意根はこの影像を縁ずることができる。五浮塵根と勝義根が存在する場合、如来蔵がさらに五浮塵根へ伝導すれば、意根は依然としてこれを縁ずることができ、さらに勝義根へ伝導されれば、意根はより強く縁ずることができる。如来蔵が外六塵を摂取する刹那から、四大微粒が勝義根に伝導されるまで、この一連の影像は絶えず生滅変異しており、中間の媒質による阻礙作用が存在する。四大微粒の数量と排列構造は影響を受け変化するため、影像も変化し、勝義根との距離が大きいほど影像の変化も大きくなる。
故に我々が遠方の物質をぼんやりと不鮮明に視認し、遠方の音声ほど音量が小さく不明瞭に聴こえ、遠方の香塵ほど淡く、陽光の熱量が距離と共に減少する現象は、全て六塵影像が中間媒質の阻礙作用によって四大微粒が変化した結果である。
意根は勝義根に伝導される前の六塵を縁ずることができるため、重大かつ突然の六塵境界に遭遇すると、意根は極めて迅速に事前反応を示し、あたかも予め準備していたかのように振る舞うのである。
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