衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

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日常開示

2018年10月25日    木曜日     第2 回の開示 合計92回の開示

大乗顕識経講解

原文:

佛見賢護。舉身放光。流照賢護。賢護爾時。便獲無畏。繞佛三匝。頂禮佛足。而白佛言。唯願世尊。悲湣教授。我今始於佛所。得淨信心。心悕妙法。欲有所問。而我久處生死。溺煩惱苦。亂念紛襍。於戒等業。無作冥資。雖心奇重。我今不知。於此愚惑。疑網之中。如何超出。得度生死。世尊是一切智。普見一切。佛出甚難。希有逢遇。如如意珠。施衆生樂。佛是大如意寶。 一切衆生。鹹由依佛。得大安樂。是大父母,。衆生善本。因佛父母。得見正路。唯願悲湣。開曉疑闇。

佛告賢護。汝有所疑。恣汝意問。我當爲汝。分別解說。爾時賢護。矇佛聽許。心專請問。在一面住。

釈:仏陀が賢護菩薩を見た後、全身から光を放ち、賢護の身に照らしました。仏陀が光を放つのには目的があります。これは賢護に仏に法を請うように奨励し、賢護に心配なく、仏の前で質問して法を請うことができるようにするためです。なぜなら彼が質問を出した後、仏陀はこの縁故に、一場の殊勝な大法を説示講演することができるからです。仏陀は時々ある法を説きたいのに、法を請う人がいないと、因縁がなくて、仏陀は法を説けません。そこで世尊はわざと誰かにヒントを与え、彼に疑問を抱かせ、さらに法を請わせ、質問を出させます。仏陀は彼が出した質問に基づいて、一つの仏法を説示講演します。賢護は仏陀の加持を受けて、仏を右に三回まわり、仏への恭敬尊重を表し、それから仏の足を頭で礼して、質問して法を請うことを始めました。

衆生の仏陀に対する信心には、不清浄なものもあれば、清浄なものもあります。仏法を初めて学ぶ人の仏陀への信は不清浄です。どのような不清浄なのでしょうか?彼は仏を盲信し、仏に頼むもので、仏の功徳をまだ理解しておらず、仏の神力、大智慧、全ての徳行を理解していないので、清浄な信心を生じることができず、心の中にまだ多くの疑問があるので、清浄な信とは言えません。仏陀が全身から光を放ち賢護に照らした後、賢護は仏法に対して清浄な信を生じました。彼の心の中では仏陀が妙法を講演するのを聞きたいと望み、仏法を問いたいと思いました。

——生如法師の開示
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