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五蘊の観行による我見の断ち(第二部)

作者:释生如更新時間:2025年03月02日

第六章 倶舎論第二十三巻(四加行)

本巻では、瑜伽行者が声聞の四念住を修習する過程において生じる四種の善根、すなわち暖法善根・頂法善根・忍法善根・世第一法善根について述べる。これら四善根は声聞の見道以前の四加行位でもある。この四加行を修めた後、法眼浄を得て初果乃至四果を証得する。四念住を修めずに白骨観などの四聖諦法を修習する場合も、同様にこの四善根が生じ、四加行位を経て初めて見道証果に至る。

四善根のうち、暖法善根を得た者は退転して善根を断ち、無間地獄業を造り死んで悪道に堕ちることもあるが、六道輪廻において長く流転せず涅槃に至る。頂法善根を得た者は退転するも善根を失わず、畢竟して断絶せず、善根が増長する。忍法善根を得た者は善根が増長して退かず、命終後は異生位に住まず、無間地獄業を造らず悪道に堕ちず、卵生・湿生とならず、無想天・北倶盧洲・大梵天処に生まれず、黄門・二形者とならず、三界において第八有を生じず、見道によって断ずべき惑は再び現れない。世第一法善根を得た者は一時的に異生位に住むが、正性離生に趣入し、必ず見道を得て生死の苦を離れる。

第一節 暖善根と頂善根

原文:頌曰。彼居法念住。總觀四所緣。修非常及苦空。非我行相。論曰。彼觀行者。居緣總襍。法念住中。總觀所緣。身等四境。修四行相。所謂非常。苦空非我。修此觀已。生何善根。

釈:頌に曰く「法念住を修めている行者は、総体的に身受心法の四所縁境を観じ、身受心法の苦・空・無常・無我の行相を観じなければならない」とある。論では「四念住を観じる行者は、所縁が総(全体)と雑(個別)に分かれるが、法念住を観じる際には身・受・心・法の四所縁境を総体的に観じ、苦諦の四行相である苦・空・無常・無我を修習する。このように法念住の観行を修めた後、どのような善根が生じるのか」と説く。

ここでの意味は、法念住を修める段階で身・受・心・法の所縁境を総体的に観じると、四善根(四加行)が生じ、見道以前に初めて四加行を修し、法念住を修める以前には四善根が現れず、機縁が未熟で善根が熟さないためである。

原文:頌曰:從此生暖法。具觀四聖諦。修十六行相。次生頂亦然。如是二善根。皆初法後四。次忍唯法念。下中品同頂。上唯觀欲苦。一行一刹那。世第一亦然。皆慧五除得。

釈:偈頌に説く「四念住の苦・空・無常・無我を修習した後、暖法が生じ、暖法善根によって四聖諦を具足して観じ、十六種の行相(苦諦四行相・集諦四行相・滅諦四行相・道諦四行相)を修習する。さらに法念住を修した後、同様に頂法が生じ、これも四聖諦を具足して観じ十六行相を修する。暖法と頂法の二善根は、最初に法念住を修し、総体的に身・受・心・法の四所縁境を観じ、後に四聖諦を修習して生じたものである。

次の忍法善根は、法念住のみを修して生じる。忍法の下品・中品善根の観行対象は頂法善根と同じであるが、上品善根では欲界の苦のみを観じ、五蘊の各行を一刹那ごとに苦諦として観ずる。世第一法善根も同様に、法念住を修する際に生じ、下品・中品の観行対象は頂法と同じで、上品は欲界の苦のみを観ずる。四善根は全て慧を体性とし、第五の得道者の善根を除くものである。

十六行相とは四聖諦を修習した後に現れる相であり、苦聖諦では四念住の苦・空・無常・無我性を観察し(四行相)、集聖諦では集諦の因・集・起・縁を観察し(四行相)、滅聖諦では滅諦の滅・静・妙・離を観察し(四行相)、道聖諦では道諦の道・如・行・出を観察する(四行相)。暖法と頂法善根の修習においては、十六行相全てを修し、観行の智慧は次第に深微となり、禅定も次第に深まり、定慧の層次が漸く深まって、第四善根である世第一法が円満した後、定慧が具足して初めて見道を得るのである。」

原文:論曰。修習總緣共相法念住。漸次成熟。乃至上上品。從此念住後。有順決擇分。初善根生。名爲暖法。此法如暖。立暖法名。是能燒惑薪。聖道火前相。如火前相故。名爲暖。

釈:論に説く「一切衆生の共相を総縁として法念住を修習する時、その智慧は漸次に成熟し、上上品に達する。法念住を修め終えた後、順決択分(四聖諦理に随順する分位)が生じ、最初の善根が現れる。これを暖法と呼ぶ。この智慧は温もりのような相を有し、心が四聖諦に薫習され四聖諦へ趣くため、暖法と名付ける。暖法は譬えば煩悩の薪を焼き払うことができ、聖道の火が現れる前の相貌であり、火が燃え上がる前の状態に似ているため、暖と称するのである。」

見道を火の相が現前し薪が燃えることに譬えるなら、火が現れる前には最初に温度が変化し、温度が上昇して暖かさが生じる。これが暖法善根に相当する。温度が継続的に上昇し熱量が一定に達すると薪が燃え火が現れる。この過程で頂法善根・忍法善根・世第一法善根を次第に経て、後に見道を得る。暖法の出現は、行者が四念住と四聖諦を修習し、心に変化が生じ四聖諦理に随順する順決択分が生起し、もはや四聖諦理に抗拒せず、むしろ四聖諦理を初歩的に受け入れ薫習されたことを示す。

原文:此暖善根分位長故。能具觀察四聖諦境。及能具修十六行相。觀苦聖諦。修四行相。一非常二苦。三空四非我。觀集聖諦。修四行相。一因二集。三生四緣。觀滅聖諦。修四行相。一滅二靜。三妙四離。觀道聖諦。修四行相。一道二如。三行四出。此相差別。如後當辯。

釈:この暖法善根は修習の段階が長期に及ぶため、即ちその分位が長いため、暖法善根が現前する段階において四聖諦の全ての真実境を具足して観察し、更に十六行相を具足して修行することができる。意味としては、単に苦諦を観じただけでは暖法善根は現れず、苦諦と集諦を観じても尚暖善根は現れず、滅諦を観じても暖法善根は現れず、四聖諦全てを観察して初めて暖法善根が現れるのである。

五蘊の苦聖諦を観察し四行相(無常・苦・空・無我)を修する。五蘊の集聖諦を観察し四行相(苦が集起する因・苦が如何に招集されるか・苦集が如何に出生するか・苦が何を縁として出生するか)を修する。滅聖諦を観察し四行相(苦が如何に息滅するか・苦滅後は寂静である・寂静は最も微妙な境界である・寂静後は苦を離れる)を修する。道聖諦を観察し四行相(苦を滅する道・修する道が真実の理に契合すること・身口意行が四聖諦理に契合し涅槃へ趣くこと・三界を出離し永劫に解脱を得ること)を修する。ここに涉及する全ての修習内容には差異があり、これらの差別相は後で改めて論じられる。

原文:此暖善根。下中上品。漸次增長。至成滿時。有善根生。名爲頂法。此轉勝故。更立異名。動善根中。此法最勝。如人頂故。名爲頂法。或由此是。進退兩際。如山頂故。說名爲頂。此亦如暖。具觀四諦。及能具修。十六行相。

釈:この暖法善根が下品から中品へ、更に中品から上品へと次第に増長し円満に至ると、別の善根が生じ、頂法善根と呼ばれる。頂法善根がますます殊勝となるに従い、名称が変更される。増長する善根の中でも頂法は最勝であり、人間の頭頂部に喩えられるため、頂法と名付けられる。また、頂法が進退の境界(前は進み、後は退く)に位置することから、山頂に喩えて頂法と称される。頂法善根の段階でも暖法と同様、四聖諦を具足して観察し、十六行相を具足して修習する。

原文:如是暖頂二種善根。初安足時。唯法念住。以何義故。名初安足。謂隨何善根。以十六行相。最初遊踐四聖諦跡。後增進時。具四念住。諸先所得。後不現前。於彼不生欽重心故。

釈:この暖法と頂法の二善根は、最初に生起する段階では法念住を修する時のみに現れる。何故「初安足」と呼ぶかと言えば、いかなる善根においても十六行相によって初めて四聖諦の観行の道跡を踏むことを指すためである。暖法・頂法が増進した後は四念住の修習が具足する。以前に得た修法は以後現前せず、過去の粗浅な法に対し特別な尊重の念が生じないため(既に超越して修する必要が無いため)である。

第二節 忍善根と世第一善根

原文:此頂善根。下中上品。漸次增長。至成滿時。有善根生。名爲忍法。於四諦理。能忍可中。此最勝故。又此位忍。無退墮故。名爲忍法。此忍善根。安足增進。皆法念住。與前有別。然此忍法。有下中上。下中二品。與頂法同。謂具觀察。四聖諦境。及能具修。十六行相。

釈:頂法善根が下品から中品へ、更に中品から上品へと漸次に増長し成熟円満に至ると、他の善根が生じ、忍法と名付けられる。苦集滅道の四聖諦理を忍可する善根の中で、この忍法が最勝であるため忍法と呼ばれる。また、この忍位では退堕することが無いため、忍法と称される。四聖諦理の修習過程において、容忍・安忍・忍可・認可するものの中で忍法善根が最勝品であり、この忍位では心が四聖諦理から退堕しないため忍法と名付けられる。

此の忍法善根の最初の生起と漸次的な増進は、全て法念住を修する時に現れる。前三念住を修しても忍法善根は生じず、忍法善根は雑修によって得られるものではない点で、前の暖・頂善根と区別される。この忍法善根も下中上三品に分かれ、下品・中品は頂法と同じく四聖諦理を具足して観察し、十六行相を具足して修習する。

上文より、忍法善根は四聖諦理への認可から退くことが無く、暖法・頂法善根は退転する可能性がある。即ち、既に生じた順決択分が失われ、内心に順決択分が無くなり四聖諦理に随順せず苦集滅道の理を受け入れなくなる。智慧の退堕には様々な原因があり、あらゆる因縁が智慧退堕を引き起こし得る。業障が大きい場合は仏法を信じ修行する心を失うこともある。しかし業障の関を過ぎれば再び仏法修行の勇気と信心が燃え上がり、暖法・頂法善根を再び修得する可能性もあるが、忍法善根まで修めた場合は退転しない。

四善根は全て修慧に属し、修行によって得られた智慧であるため、聞慧・思慧は退堕し得る不堅固なものである。修慧の前半も退堕し得るが、修慧の後期に至れば智慧は堅固となり退堕せず、一旦見道を証得すれば更に退堕しない。見道後、禅定は退く可能性があっても見道の智慧は永遠に退かず、果位は不退となる。三果に至れば初禅定は退く可能性があるが、三果の解脱智慧と功徳は永遠に不退で果位も退かない。見道以前では禅定は不退でも智慧は退堕し得、智慧が退堕すれば善根も退く。禅定の如何に関わらずである。

原文:上品有異。唯觀欲苦。與世第一。相鄰接故。由此義準。暖等善根。皆能具緣三界苦等。義已成立。無簡別故。謂瑜伽師於色無色。對治道等。一一聖諦。行相所緣。漸減漸略。乃至但有二念作意。思惟欲界苦聖諦境。齊此以前。名中忍位。從此位無間。起勝善根。一行一刹那。名上品忍。此善根起。不相續故。上品忍無間。生世第一法。

釈:忍法善根の上品は頂法と異なり、上品では欲界の苦のみを観じ、世間第一法と緊密に隣接する。この義理によって、暖・頂・忍等の善根が現れる際には三界の苦等の四聖諦を具足して縁することが確定し、この道理が心中に確立されているため、改めて分別する必要が無くなる。瑜伽行者は色界・無色界における修道の四聖諦対治法について、各聖諦の行相と所縁を次第に減少・簡略化し、遂には二念の作意のみで欲界の苦聖諦境を思惟するに至る。

これ以前を中忍位と呼ぶ。中忍位から間断なく殊勝な善根が生起し、各行相各刹那を上品忍と称する。忍法が最初に生起する際、善根は持続しないが、上品忍に至れば善根が間断なく生じ、ここで世間第一法が現れる。

原文:如上品忍。緣欲苦諦。修一行相。唯一刹那。此有漏故。名爲世間。是最勝故。名爲第一。此有漏法。世間中勝。是故名爲。世第一法。有士用力。離同類因。引聖道生。故名最勝。

釈:世第一法は上品忍と同様に欲界の苦聖諦を縁とし、十六行相の各々を修するが、一刹那で完結する。しかしこの善根は有漏であるため「世間」と呼ばれ、世間中最勝であるため「第一」と称される。この有漏法は世間法の中で最勝であり、凡夫の同類因を離れ聖道を引く力を持つため「最勝」と名付けられる。

世第一法は依然として世間法に属するが、世間法中最勝であり、その後は出世間法である預流果の証得へ至る。出世間は解脱に向かい次第に三界を離れ涅槃へ趣くことを意味する。故に四加行は見道前の最終準備段階であり、聖道への跳躍台となる。

原文:如是暖等。四種善根。念住性故。皆慧爲體。若並助伴。皆五蘊性。然除彼得。勿諸聖者。暖等善根。重現前故。此中暖法。初安足時。緣三諦法。念住現在。修未來四。隨一行相。修未來四。緣滅諦法。念住現在。修未來一。隨一行相現在。修未來四。

釈:暖・頂・忍・世第一の四善根は、念住の性質を有するため、全て智慧を本体とする。これに相応する心所(助伴)を含めれば五蘊(色受想行識)の性質を具える。ただし「得」(成就の状態)を除く。聖者が暖法等の善根を再び現前させないようにするためである。暖法が最初に生起する際、苦・集・滅の三諦を所縁とし、現在の身・受・心・法の念住を修しつつ、未来の四念住を修習する。各聖諦の行相に従い、未来の四念住を修する。滅諦を所縁とする法念住は現在にありながら、未来の法念住を修し、現前する行相に従って未来の四念住を修する。

原文:由此種性。先未曾得。要同分者。方能修故。後增進時緣三諦。隨一念住現在。修未來四。隨一行相現在。修未來十六。緣滅諦法。念住現在。修未來四。隨一行相現在。修未來十六。由此種性。先已曾得。不同分者。亦能修故。

釈:この声聞種姓の者は、過去に暖法を得たことがなく、同種の善根を有する者でなければ修習できない。後に善根が増進する際、苦・集・滅の三諦を所縁とし、現前する一つの念住に従って未来の四念住を修し、現前する各々の行相に従って未来の十六行相を修習する。滅諦を所縁とする法念住は現在において未来の四念住を修し、現前する各々の行相に従って未来の十六行相を修する。この種姓の者は既に暖法を得たため、異なる修養段階の者でも修習可能となる。

原文:頂初安足。緣四諦法。念住現在。修未來四。隨一行相現在。修未來十六。後增進時。緣三諦。隨一念住現在。修未來四。隨一行相現在。修未來十六。緣滅諦法。念住現在。修未來四。隨一行相現在。修未來十六。

釈:頂法善根が最初に生起する際、四聖諦の法を所縁とし、現在の法念住を修しながら未来の四念住を修習し、四聖諦の現前する各行相に従って未来の十六行相を修する。後に増進する段階では苦・集・滅の三諦を所縁とし、現前する一つの念住に従って未来の四念住を修し、現前する各々の行相に従って未来の十六行相を修習する。滅諦を所縁とする場合、現在の念住において未来の四念住を修し、滅諦の現前する各行相に従って未来の十六行相を修する。

原文:忍初安足。及後增進。緣四諦法。念住現在。修未來四。隨一行相現在。修未來十六。然於增進。略所緣時。隨略彼所緣。不修彼行相。世第一法。緣欲苦諦法。念住現在。修未來四。隨一行相現在。修未來四。無異分故。似見道故。

釈:忍法が最初に生起する時及び後に増進する際、四聖諦の法を所縁とし、現在の念住において未来の四念住を修し、四聖諦の現前する各行相に従って未来の十六行相を修習する。しかし忍法が増進して所縁を簡略化する段階では、省略された所縁法に対応する行相は修習しない。世第一法は欲界の苦聖諦を所縁とし、現在の念住において未来の四念住を修し、苦諦の現前する各行相に従って未来の四行相を修する。これ以上分位が存在せず、この位は見道位に類似するが未だ見道ではないためである。

原文:論曰。此暖頂忍。世第一法。四殊勝善根。名順決擇分。依何義建立順決擇分名。決謂決斷。擇謂簡擇。決斷簡擇,謂諸聖道。以諸聖道。能斷疑故。及能分別。四諦相故。分謂分段。此言意顯。所順唯是見道一分。決擇之分。故得決擇分名。此四爲緣。引決擇分。順益彼故。得順彼名故。此名爲順決擇分。如是四種。皆修所成。非聞思所成。唯等引地故。

釈:論に説く「暖法・頂法・忍法・世第一法の四つの殊勝な善根を『順決択分』と呼ぶ。この名称はどのような理屈に基づいて立てられたか。『決』は決断(疑いを断つこと)、『択』は簡択(分別して選ぶこと)を意味する。決断と簡択は聖道を指す。聖道は疑いを断ち、四諦の相を分別できるためである。『分』は分段(区切り)を指し、ここでは『順ずる対象が見道の一部である』ことを示す。決択の分位であるため『決択分』の名を得る。これら四善根を縁として決択分が引き起こされ、聖道に順じ利益するため『順決択分』と称される。これらの四種は全て修所成慧(修行によって得られる智慧)に属し、聞所成慧・思所成慧ではなく、等引地(禅定の境地)のみに属する。」

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