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五蘊の観行による我見の断ち(第二部)

作者:释生如更新時間:2025年03月03日

第九章 瑜伽師地論第二十九巻(四正勤)

原文:如是於四念住。串習行故。已能除遣。粗粗顛倒。已能了達。善不善法。從此無間。於諸未生。惡不善法。爲不生故。於諸已生。惡不善法。爲令斷故。於其未生。一切善法。爲令生故。於其已生。一切善法。爲欲令住。令不忘失。廣說如前。乃至攝心持心。

釈:四念処を観行することを熏習したるが故に、最も粗浅なる顛倒を心中より除き遣わし得たり。かつては身を以て我と為し浄を計り貪著せしが、今は身の不浄にして我無きことを知る。かつては苦を楽と為し覚受を貪り享けしが、今は受の皆苦なることを知る。かつては心は相続にして常なりと為ししが、今は心の無常なることを知る。かつては五蘊の世間法を我と計りしが、今は無我なることを知る。顛倒せる知見を正しに戻し、心再び顛倒せず。

四念処を修習した後、善法と不善法とを了達し得、此れより間断なく四正勤の修習に入る。未だ生ぜざる悪しき不善法を生ぜざらしめ、已に生じたる悪しき不善法を断じ除く能く、未だ生ぜざる一切の善法を生ぜしめ、已に生じたる一切の善法を保持し続け、永遠に忘失せざらしむ。展開して説けば先述の如し。四正勤の修習過程に於いて、能く心を摂持し保持し得る。

原文:雲何名爲。惡不善法。謂欲纏染污。身語意業。是身語意。惡行所攝。及能起彼。所有煩惱。若未和合。未現在前。說名未生。若已和合。已現在前。說名已生。

釈:何を悪しき不善法というか。悪不善法は貪欲に纏縛された身業・口業・意業であり、身悪行・語悪行・意悪行に摂属し、五蘊七識を生起させる全ての煩悩を指す。身口意の悪不善業がまだ造作されず、悪不善行が現れざる時は、未だ生ぜざる悪不善行と称す。身口意の悪不善業が已に和合して生起し、悪不善行が現前した時は、已に生じた悪不善行と称す。

和合とは煩悩と縁が合することを指す。煩悩が縁に遇えば悪不善業行が現前し、煩悩が縁に遇わざれば、煩悩はただ眠蔵し、悪不善業行は現前せず。悪業と不善業は軽重に差あり、煩悩の程度に差異を有す。悪行は煩悩が重く粗いことを示し、不善行は煩悩が軽く善悪の中間に位置す。不善行の範囲は広く、悪行は人に忍ばれ難き行いなり。悪の煩悩は粗重顕著にして生起すべからず、故に自他共に忍び難し。不善の煩悩は稍々軽く、常人の間に頻出し、世間は之に一定の寛容度を存す。

衆生の悪不善法多く善法少なく、故に皆不善を正常現象と為す。然れども衆生知らず、世間の正常と為す一切の現象も皆非正常にして生起すべからざるものなり。人々が不善を以て正常と為すは、衆生悉く不善法を有し、心清浄ならざるを示す。悪不善法を寛容すればする程、人心の善法は減退す。衆生の寛容と諸仏菩薩の寛容は全く異なり、仏菩薩の寛容は智慧と慈悲の顕現なり。衆生の寛容は多く煩悩の顕現なり。多くの者、身口意の行い不善なる時、指摘せられれば皆喜ばず、慚愧心無く、己が悪不善行を寛容するは、修行より未だ遠きを示す。

原文:雲何名爲一切善法。謂若彼對治。若蓋對治。若結對治。未生已生。應知如前。惡不善法。若時未生。惡不善法。先未和合。爲令不生。發起希願。我當令彼。一切一切。皆不複生。是名於諸未生惡不善法。爲不生故生欲。

釈:何を一切善法というか。善法は悪法の対治なり。悪法と相反し、悪法を降伏せしむる法を善法と名づく。例へば煩悩蓋障の対治、煩悩結縛の対治、対治した後善法生起すれば悪法滅す。恰も日輪昇りて暗黒を駆逐し、暗黒消散するが如し。若し悪法消散せば再び善法を以て対治せず。心清浄なれば不善不悪なり。善を為すも亦た有為法、生死の業なり。心清浄なれば業無く、大寂静を得、大涅槃を得。

善法を以て悪法を対治するは即ち四正勤の修習なり。未生の悪を生ぜざらしめ、已生の悪を断滅せしむ。悪不善法生起の因縁条件未だ具足せざる時、悪不善法を生ぜざらしめんが為に、心中に希求と願いを発起し、悪不善法再び生起せざらんことを冀う。例へば誓願を発し「永く嫉妬せじ、盗みせじ、妄語せじ、殺生せじ、人を陥れじ」等。是れを名づく、未だ出生せざる悪不善法に対し生ぜざらしめんが為に希冀と欲望を発起せしむると。

原文:若時已生。惡不善法。先已和合。爲令斷故。發起希願。我當於彼。一切一切。皆不忍受。斷滅除遣。是名於諸已生。惡不善法。爲令斷故生欲。

釈:若し此の時悪不善法生起の因縁和合し、已に悪不善法生起せり。悪不善法を断滅せしめんが為に希求と願いを発起し、自ら再び一切の悪不善法を容認せざるを冀い、決意を下し一切の悪不善法を断滅除遣し、心を善ならしめんとす。是れを名づく、已に生じたる悪不善法に対し断滅せしめんが為に希冀と欲望を生起せしむると。

上記の発願は全て善願なり。覚れる者のみ能く此くの如く発願す。自心に悪と煩悩有るを覚知し、悪不善法の悪果悪報を了知し、解脱に障碍あるを弁え、且つ善悪不善を分明に識別し得るなり。若し識別分明ならざれば自心を覚知する能わず。仮に願い有るも願いの如く成満せず。此等の願いは修習過程に於いて自発的に顕現するもの、修行が法に随順し効験有る証左、精進の結果なり。精進は心の精進なり。身口の表面のみに作為するに非ず。身口は車の如く、心は御者に喩う。若し車を速く穩やかに正方向に進めしめんと欲せば、当に御者を督促鞭策すべし。仏法初学の者は多く身口に精進功を注ぎ(礼仏念仏等)、未だ心上に功を用い得ず。老練の修行者は自心を観察し、自心を監管し、自心を対治し、心をして悪を断ち善を増せしむるを知る。

原文:又彼一切。惡不善法。或緣過去事生。或緣未來事生。或緣現在事生。如是彼法。或緣不現見境。或緣現見境。若緣過去未來事境。是名緣不現見境。若緣現在事境。是名緣現見境。

釈:一切の悪不善法は、或いは過去の事象に因縁して生起し、或いは未来の事象に因縁して生起し、或いは現在の事象に因縁して生起す。故に悪不善法は、或いは眼前に現れざる境界に因縁し、或いは眼前に現れた境界に因縁す。過去及び未来の境界に因縁するを、現見せざる境に縁ると称し、現在現前の境界に因縁するを、現見する境に縁ると称す。

原文:當知此中。於緣不現見境。惡不善法。其未生者。欲令不生。其已生者。欲令永斷。自策自勵。是名策勵。於緣現見境。惡不善法。其未生者。欲令不生。其已生者。欲令永斷。勇猛正勤。是名發勤精進。所以者何。要當堅固。自策自勵。勇猛正勤。方能令彼。或不複生。或永斷滅。

釈:現見せざる境界に因縁する悪不善法に対し、未だ生起せざる時は必ず之を生起せざらしめ、已に生起したる時は必ず永劫に断滅せしめ、以て自らを鞭撻し自らを鼓舞す。是れを策励と称す。現見する境界に因縁する悪不善法に対し、未だ生起せざる時は必ず之を生起せざらしめ、已に生起したる時は必ず永劫に断滅せしめ、斯くの如く勇猛精進して修行するを、発勤精進と称す。何故に斯く精進すべきか。心堅固に自らを鞭撻し鼓舞し、勇猛精進するのみが、悪不善法を再び生起せざらしめ、或いは永劫に断滅せしめ得るが故なり。

原文:又於下品中品諸纏。其未生者。欲令不生。其已生者。欲令永斷。故自策勵。於上品纏。其未生者。欲令不生。其已生者。欲令永斷。發勤精進。又若行於過去境界。如是行時。不令煩惱緣彼生起。設複失念。暫時生起。而不忍受。速能斷滅。除遣變吐。如緣過去。若行未來。當知亦爾。如是未生惡不善法。能令不生。生已能斷。是名策勵。

釈:下品及び中品の一切の煩悩纏縛に対し、未だ生起せざる時は必ず之を生起せざらしめ、已に生起したる時は必ず永劫に断滅せしめ、以て自らを鞭撻鼓舞す。上品の煩悩纏縛に対し、未だ生起せざる時は必ず之を生起せざらしめ、已に生起したる時は必ず永劫に滅除せしめ、斯くの如く精進を発す。

心が過去の境界を縁ずる時、正しく過去の境界を観ずる際に、過去の境界を因縁として煩悩を生起せしめざるべし。仮に正念を失い煩悩が暫時生起するも、再び之を容認せず、速やかに滅除し、排除し剔除すべし。未来の境界を縁ずる時も過去を縁ずるが如く対処すべし。斯くの如く未だ生起せざる悪不善法を生起せざらしめ、已に生起したる者を速やかに断滅せしむるを、策励と称す。

原文:若行現在所緣境界。如是行時。不令煩惱緣彼生起。設複失念。暫時生起。而不忍受。速能斷滅。除遣變吐。如是未生。惡不善法。令其不生。已經生起,生已能斷。是名發勤精進。

釈:もし心が現在眼前に見える境界に縁するならば、現前の境界において運行する時に、煩悩が現前の境界に縁して生起することを許さない。もし不注意で正念を失い、煩悩が一時的に生起したとしても、発見したらその継続を容認せず、速やかに断滅し、除遣して取り除く。このようにまだ生じていない悪不善法を生じさせず、すでに生じた悪不善法は、生じた後に即座に煩悩を断滅させる。これを勤勉精進と呼ぶ。

以上のように勇猛精進して四正勤を修行し、自らを策励すれば、煩悩は間もなく除遣され、煩悩が除遣された後に心清浄にして初めて道を見、智慧解脱を得る。もし煩悩の束縛に対してその害をまだ覚悟せず、煩悩の氾濫を放任すれば、輪廻の苦悩の災いが除かれず、道を証して聖を証することは叶わない。これによって、煩悩を断たずに菩提を証することは、あり得ないことが分かる。

原文:又或有惡不善法。唯由分別力生。非境界力。或有惡不善法。由分別力生。亦境界力。唯由分別力生。非境界力者。謂於住時。思惟過去未來境界。而生於彼。由思惟力生。亦境界力者。謂於行時。緣現在境界。而生於彼。當於爾時。決定亦有。非理分別。當知此中。惡不善法。唯由分別力生。非境界力者。彼若未生。能令不生。生已能斷。是名策勵。若由分別力生。亦境界力者。彼若未生。能令不生。生已能斷。是名發勤精進。

釈:或る悪不善法は、只だ意識の分別力によって生起し、現前境界の力によらざるもの有り。分別力とは識の分別作用、即ち意根の習気に随順する結果なり。現前の六塵境界の影響を受けず、境界が悪不善法生起を促す力無し。是れ意根固有の習気力強きが故なり。或る悪不善法は意識の分別力のみならず、六塵境界の影響力によっても生起す。

唯だ分別力によって生起し、境界の影響力によらざる悪不善法は、現前法に住しつつ過去未来の境界を思惟する時、悪不善法生起す。此の如き悪不善法は主に意根の煩悩習気より生ず。分別力のみならず境界の影響力も由る悪不善法は、身口意の運行時に現在境界を縁として生起す。身口意運行時には六識の分別力のみならず、現前境界の影響も受く。此時、境界が推進力となり、必ず非如理分別も存在す。是れ意根の煩悩習気と現前境界の影響が共に作用して生ずる悪不善法なり。

此れを以て知る、分別力のみによって生起し境界力の影響を受けざる悪不善法は、未だ生起せざる時は之を生起せざらしめ、生起後は断滅せしむ。是れを策励と称す。分別力と境界力の双方によって生起する悪不善法は、未だ生起せざる時は之を生起せざらしめ、生起後も断除し得る。是れを発勤精進と称す。

原文:於其未生。一切善法。爲令生故生欲者。謂於未得。未現在前。所有善法。爲欲令得。令現在前。發心希願。發起猛利。求獲得欲。求現前欲。而現在前。是名於其未生一切善法。爲令生故生欲。

釈:未だ顕現せざる一切の善法を生起せしめんが為に希求を起こすとは、未だ体得せず眼前に現れざる善法を獲得し現在化せしめんと、心を発し願望を起こし、強烈な求道心と顕現への渇望を奮い起こし、遂に善法を眼前に現前せしむるを指す。是れ未生の善法を生起せしめんとする欲求なり。

原文:於其已生。一切善法。爲欲令住。令不忘失。令修圓滿生欲者。謂已獲得。已現在前。所有善法。是名已生善法。於此善法。已得不失。已得不退。依是說言。爲欲令住。於此善法。明了現前。無闇鈍性。依是說言。令不忘失。於此善法。已得現前。數數修習。成滿究竟。依是說言。令修圓滿。於此善法。發心希願。發起猛利求。堅住欲求。不忘欲求。修滿欲而現在前。是名於其已生一切善法。爲欲令住。令不忘失。令修圓滿生欲。

釈:すでに生じた善法に対して、善法を堅固に住させんがため、善法を忘失せしめざらんがため、その善法を円満ならしめんがために、希求と願望を生じる。すでに獲得した一切の善法、すでに現前に出現した一切の善法を、已生善法と名づく。すでに得た善法を再び失わず、また退去せしめないことを、善法常住を希求すると名づく。既存の善法に対して心中明らかに自持し、清清楚楚として暗鈍性なきことを、善法不忘失ならしめると名づく。すでに獲得した善法に対して、不断に修習し、善法を円満究竟ならしめて無間ならしめることを、修円満ならしめると名づく。

善法に対して希求心を発起し、猛力なる求取心を起こし、獲得と保持を発願し、かつ堅固に善法に住して退失せず忘却せず、善法を修習円満ならしめんと欲するこれらの欲望と心願を、その已生一切善法に対し欲望を生起する、住着永存ならしめんと欲するがため、善法を忘失せしめざらんがため、善法を修習円満ならしめんがために生起する欲望と名づく。

原文:策勵者。爲於已得。令現前故。發勤精進者。爲於未得。令其得故。又策勵者。於已生善。爲欲令住。令不忘故。發勤精進者。令修滿故。又於下品中品善法。未生令生。生已令住。令不忘失。是名策勵。於上品善法。未生令生。生已乃至。令修圓滿。是名發勤精進。

釈:いわゆる策励とは、すでに獲得した善法に対して、これを現前ならしめ、身口意行の中に顕現せしめるがために、勇猛に自らを鞭撻激励することを指す。いわゆる発勤精進とは、まだ獲得されざる善法に対して、速やかにこれを得んがために、勤勉に精進することを指す。策励はまた、すでに生じた善法に対して、これを堅固に常住せしめ、忘却されざらしめることを意味する。発勤精進はさらに、すでに生じた善法に対して、速やかに修習円満ならしめんがために、勤勉精進心を生起させることを指す。

さらに、下品および中品の善法に対して、未だ出生せざるものは出生せしめ、すでに出生したものは堅固に常住させ、再び忘却せしめないことを、策励と呼ぶ。上品の善法に対して、未だ出生せざるものは出生せしめ、すでに出生したものは堅固に常住させ、かつ修習円満ならしめることを、発勤精進と呼ぶ。

原文:言策心者。謂若心於修奢摩他一境性中。正勤方便。於諸未生。惡不善法。爲令不生。廣說乃至。於其已生。一切善法。爲欲令住。令不忘失。令修圓滿。由是因緣。其心於内。極略下劣。或恐下劣。觀見是已。爾時隨取一種。淨妙舉相。殷勤策勵。慶悅其心。是名策心。雲何持心。謂修舉時。其心掉動。或恐掉動。觀見是已。爾時還複於内。略攝其心。修奢摩他。是名持心。

釈:いわゆる策心とは、心が止を修習する時に、一つの境界に専住する奢靡他において、正しく精勤して方便力を以て、未だ出生せざる悪不善法を出生せしめず、すでに出生した悪不善法を滅除せしめ、広く説けばすでに出生した一切善法を堅固に常住せしめ、忘失せしめず、修習円満ならしめることを指す。この止を修ずる因縁によって、自心が極めて昏昧であることを発見し、あるいは昏昧を恐れる時は、随時清浄勝妙なる殊勝の相を選択し、自らを激発鼓舞して心を歓喜せしめ、これを策心と名づく。何を持心と呼ぶか。挙相を修習する時に、自心が掉動して止まざることを発見し、あるいは掉動を恐れる時は、心中ひそかに自心を収摂し、心を止住せしめることを持心と名づく。

ここに説く策心とは、定を修する時に、心が昏沈して清明ならざることを発見すれば、観を修して対治し、心を引き上げて所観の法に集中させ、これによって心が昏沈掉挙せざるようにすることを指す。所観の法は多くあり、自らが現在修習する法と相同あるいは相似する内容を選択し、注意力をこの法に集中させる。所観の法が明確であればあるほど、勝妙殊勝であればあるほど、興味を引き起こし、注意力を引き付け、精力が旺盛となり、昏沈暗鈍を駆逐する。観を修する時に、自心の注意力が充分に集中せず、心が散乱していることを発見すれば、観を修することを停止し、心を一境に止住せしめて動かさず、心が静まって後、再び観を修習する。

定慧止観を修習する時は、一方的に定と止を修するのでもなく、一方的に慧と観を修するのでもなく、自心の状況によって抉択すべきである。修行は定慧等持、止観双運を要し、定が多く心が沈没していることを発見すれば正念を提起して観を多く修し、自心が専一深入できざることを発見すれば止を多く修し、止の中に観有り、観が定の中にあることを保証し、二者のいずれかが欠けても善果を得られない。

原文:如是四種。亦名正勝。謂於黑品諸法。其未生者。爲令不生。其已生者。爲令斷滅。生欲策勵。發勤精進。策心持心。是二正勝。於白品諸法。其未生者。爲欲令生。如前黑品廣說。應知是二正勝。

釈:いわゆる四正勝とは、黒品の煩悩の法に対して、未だ出生せざるものを不生ならしめ、すでに出生したものを断滅せしめんがために、欲望と策励を生じ、勤勉精進心を発起し、その心を策励し、その心を加持することを指す。これが二種の正勝である。白品の諸善法に対して、未だ出生せざるものを出生せしめ、すでに出生したものを堅住円満ならしめんがために、願望と策励を生じ、発心して精進修行し、その心を策励し、その心を堅持する。これもまた二種の正勝である。

勤は勤勉精進の意、勝は心勝、すなわち精進の意、正は方向と方法が正しく誤りなきことを指す。正しい方向において努力精進することを正精進とし、不断に目標へ趣向する。反対に、正しからざる方向において努力精進することを邪精進とし、精進すればするほど目標から遠ざかる。多くの仏法修行者が陥る邪精進とは、修行目標を明らかにせず、修行原理を理解せず、ただ一方的に用功し、勇猛ではあれど智慧が甚だ欠如している状態を指す。

原文:如是四種。亦名正斷。一名律儀斷。謂於已生。惡不善法。爲令斷故。生欲策勵。乃至廣說。二名斷斷。謂於未生。惡不善法。爲不生故。生欲策勵。乃至廣說。由於已生。惡不善事。應修律儀。令其斷滅。不應忍受。由是因緣。名律儀斷。於其未生。惡不善事。爲欲令彼。不現行斷。爲欲令彼。不現前斷。爲斷故斷。故名斷斷。

釈:いわゆる四正断とは、第一に身口意の造作による律儀断であり、すでに生じた悪不善法を断ぜんがために、欲望と策励を生じる。第二に断断であり、未だ生じざる悪不善法を不生ならしめんがために、欲望と策励を生じる。すでに生じた悪不善法に対しては、身口意の律儀を修習し、その悪不善法を断除せしめ、これらの悪不善法を容認し出生增長せしめてはならない。これを律儀断と名づく。未だ生じざる悪不善法に対しては、再び現行せしめずして断じ、現前せしめずして断じ、悪不善法を断除せんがために断ずることを、断断と名づく。

原文:三名修斷。謂於未生一切善法。爲令生故。廣說乃至。策心持心。由於善法。數修數習。先所未得。能令現前。能有所斷。故名修斷。四名防護斷。謂於已生。一切善法。爲欲令住。廣說乃至。策心持心。由於已得。已現在前。諸善法中。遠離放逸。修不放逸。能令善法。住不忘失。修習圓滿。防護已生。所有善法。能有所斷故。名防護斷。

釈:すでに生じた善法に対して、これを堅固に住せしめんがため、不断にその心を策励し、その心を加持する。善法を数数反復して修習することにより、先前には獲得せざりし善法を現前に出現せしめ、悪不善法を断除することを、修断と名づく。第四に防護断とは、すでに出生した一切善法に対して、これを堅住ならしめんがため、不断にその心を策励し、その心を加持する。すでに獲得し現前した一切善法中において、その心が放逸を遠離し、不放逸行を修習し、善法を堅住ならしめて忘失せず、善法を修習円満すれば、防護が生起する。一切善法が悪不善法を断除し得るが故に、これを防護断(悪不善法)と名づく。

防護とは悪不善法の出現を防護することを指す。心中に善法あれば悪不善法は断除されて現れず、善悪は同時に現れ得ざるが故に、善法が防護の役割を果たす。善法が堅固となれば、悪不善業を造作せず、これは長時にわたり善法を修習した結果である。四正勤は最初に修習すべき助道の法であり、見道の必要条件である。故に見道の者は相応する粗重なる煩悩を断除し、心中の善法は堅固となり、悪不善法は容易に現前せざる。

もし四正勤を修了した後、命終前に未だ見道せずとも、心が変化したが故に後世に受くる悪報は軽微となる。ただし善法が退去せず、悪不善法が再び現出せざることを保証せず。業縁の故に悪環境に熏染されやすく、また善法の基礎あるが故に善縁に遇えば、善法は容易に生起し、修習は速やかに進む。見道後に至って初めて善法を保持し、不断に堅固化・増長し、円満へと至る。

原文:如是廣辨。四正斷已。複雲何知。此中略義。謂爲顯示。於黑白品。捨取事中。增上意樂圓滿。及加行圓滿。是故宣說。四種正斷。當知此中。由生欲故。增上意樂圓滿。由自策勵。發勤精進。策心持心故。加行圓滿。

釈:いわゆる四正断を広く論弁した後、いかにして四正断の大略要義を知ることができるか。四正断の大略要義とは、黒白善悪の諸品における取捨の過程において、その増上意楽が円満し、悪を去り善を増す加行も円満することを示す。故に四正断を説くべきである。汝ら応知るべし、四正断の修習過程において、心にすでに悪を断ち善を増やさんとする欲望が生じたが故に、増上意楽は円満し、自心が自らを策励し、さらに勤勉精進心を発起し、不断にその心を策励し、自心を加持するが故に、加行は円満する。

四正断に至る前、四正勤の修習においては未だ強き欲望が生起せず、故に増上意楽は未だ円満せず、四種の正断は現出せず、自らへの策励激励は未だ強からず、心を鞭撻し駆策する力度も充分ならざるが故に、四種の正断は現出せず。意楽と策励が共に円満具足するに至って初めて四正断が現出し、この時四正勤は修了する。

原文:修瑜伽師。唯有爾所。正應作事。謂爲斷滅。所應斷事。及爲獲得。所應得事。先當生起。希願樂欲。爲斷諸纏。複應時時。正勤修習。止舉捨相。爲斷諸纏。及隨眠故。更應修集。對治善法。爲現如是。一切所作。說四正勝。及四正斷。是名略義。

釈:いわゆる瑜伽を修行する行者にとって、これらのみが彼の修すべき法であり、断滅すべき事柄を断滅し、獲得すべき事柄を獲得せんがため、まず希求・意願・楽欲を生起すべきである。諸煩悩の束縛を断除するためには、常に正精進して止相(禅定)・挙相(自心を激励)・捨相(悪不善法を捨棄)を修習すべきである。諸煩悩の束縛および随眠を断除せんがためには、さらに悪に対治する善法を修集すべきである。これらのなすべき一切の事を顕現せしめんがために、四正勝および四正断を宣説する。これらの内容を四正断の大略の義と名づく。

以上の四正勤の法に対し、一部の人々は修習を厭い、これらの法を軽視し、これらは基礎的な小乗の法であると見做し、時間を費やす必要なく、全ての精力を大乗法の熏習に用いれば足ると考える。しかし四正勤を修せざれば、心は善に転ぜず、徳は具足せず、徳が相応せざれば大乗法を証得できず、全ての熏習は結局理論に留まる。理論は一定の因縁条件下において忘却・喪失し得、仮に忘却せずとも理論は畢竟理論に過ぎず、実用価値乏しく、命終には悪不善法により堕落し、徒に理論を有するも命を救えず。

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