阿羅漢は我執を断ち切ったため、もう三界世間法を執取せず、一念無明が消え尽くし、三界との縁が尽きたときに涅槃し、三界に生まれることはない。阿羅漢が未来にまた涅槃から出てくるというのは、大乗仏法を熏習したためで、大乗仏法の種子の縁が熟したからであり、三界法の種子の縁が熟したからではない。阿羅漢はもう三界法の種子のために三界に生まれることはない。
では、阿羅漢が涅槃するとき、まだ三界法の種子があるのだろうか?種子は生じる意味があり、種子があれば必ず現行する。しかし阿羅漢はもう三界の種子を現行させないので、三界の種子はどこへ行ったのだろうか?
種子の形成は、無明と願力による。阿羅漢の一念無明は消滅したので、もう三界の種子を形成しない。阿羅漢にはまた願力もないので、もう三界の種子を形成しない。十二因縁法では、無明が行を生じ、この行は三界の身口意など一切の行法である。無明がなければ、三界の行法は必然的にすべて消え、五陰身の生まれもなくなる。阿羅漢が涅槃前に熏習した大乗仏法は種子となって心体に落ち、彼らの大乗仏法に対する少しの愛楽心も種子となり、大乗仏法の種子の縁を熟させることができる。愛楽心が強ければ縁が熟しやすく、早く熟し、それだけ早く涅槃の状態から出て再び受生する。
阿羅漢は涅槃前に、意根がもう執取しなくなったため、大乗仏法の種子を USB メモリ(如来蔵)に保存した。未来世に再び生まれるときは、USB メモリ(如来蔵)の種子が熟して五陰世間を感応させる。
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