意識が滅びた後、残ったものこそが衆生が考える我であり、この我は生死輪廻の本当の根源で、一切の無明を具え、一切の煩悩を具えている。この我があるからこそ、後世の無量劫の生死の苦報と苦受があり、後世の一切の善悪の業行や業種、および各種の因縁果報がある。
この我がどんな様子ならば、我もその様子である。この我に無明がなければ、我にも無明がない。この我に煩悩がなければ、我にも煩悩がない。無无明の我で生まれ変われば、我は仏である。無煩悩の我で生まれ変われば、我は阿羅漢であり、入地の菩薩である。一切の煩悩を具えた我で生まれ変われば、我は完全な凡夫である。善法が多いこの我で生まれ変われば、我は善人である。
この我の本来の姿がどんな様子ならば、我もその様子である。この我が各種の煩悩を持たないことを願い、そうすれば多くの劫の修行の時間を省略できる。この我が善が多く悪が少ないことを願い、そうすれば我も善報が多く悪報が少ない。この我が善法を持たないこと、善法に相応しくないことは望まない。我はこの我が一切の善法を具えることを望む。
私はこの我に我見がないことを望み、この我に我執がないことを望み、この我に我慢がないことを望み、この我に貪欲、嗔怒、愚痴がないことを望み、この我が独り善がりでないことを望み、この我がすべての無明を取り除くことを望み、この我が一切の善法を具えることを望み、この我が福徳を具えることを望み、この我が広大な智慧を持つことを望み、この我が徹底的に識を智に転じることを望み、この我が徹底的に我がないことを望み、この我が慈悲喜捨を具えることを望み、この我が広大な願力を持つことを望み、この我が一切を憐れみ一つの衆生も見捨てないことを望み、この我が無量の徳能を具えることを望み、この我がすべての衆生の依りどころになることを望む。
要するに、私はこの我が私が望むようになってほしい。すべての悪を断ち切り、一切の善を具えることを望む。
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