涅槃の状態は如来蔵によって幻化されたもので、実在するものではなく、修行によって得られます。修行しなければ涅槃の状態はなく、その後涅槃の状態から出てくると、涅槃の状態は消えたり変わったりします。これはこのような涅槃は生滅があることを示しており、そのため涅槃も真実ではありません。ただ如来蔵本体だけが真実で虚偽がなく、如来蔵が示す静寂な涅槃性こそ真実です。有餘依涅槃と無餘依涅槃、そして仏地の無住処涅槃は、いずれも先になくて後に生じたもので、それゆえ幻想的な現象で生滅の現象です。仏地の無住処涅槃以外は永遠に消えることはないが、有餘涅槃と無餘涅槃は長く滅びないことはできません。ただ如来蔵が示す涅槃の徳だけが真実で、変異せず、生滅しないものです。
定義を一つ間違えても、証果に影響を及ぼすほどではありません。定義が正しくても必ずしも証果できるとは限りません。証果するかどうか、実修するかどうかは概念の定義には関係ありません。四果の阿羅漢でも法を説けない者がいますし、凡夫でも四果の阿羅漢の修証の境界を説く者がいます。修行はどのように法を説くかにあるのではなく、実証と心の行いにあります。
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