我見を断った初果と我執を断った四果との間の距離は非常に遠い。我見を断った後に我執を断てないのは、初果において証得した無我の理が未だ浅く範囲が狭いため、意根が一気に我執を断つことができないからである。初果を得た後も引き続き五陰無我の理を観行し続け、観行が深まるにつれ無我の証得が深化し、初禅定が生起して煩悩を断つことで、我執は次第に淡薄になり執着は軽微となる。やがて我執を断尽し得る。
もし四禅定を伴うならば、我見を断つと同時に我執を一気に断じ得る。禅定は一切の煩悩を抑伏し、身への執着を軽くするため、五陰を「我」と見做す智慧の否定さえあれば、五陰無我の智慧を具えた瞬間に我執を断尽し四果阿羅漢となる。仏世の外道たちがこの方法を採った。徹底的に我見を断つことは、即ち我執を断つことである。
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