心の中に煩悶が生じた時、私たちは静かにそれを見つめ、観察し、それがどこから現れたのか、その根源はどこにあるのか、何のためにこの煩悶が現れたのかを探求する必要がある。そして、煩悶が現れた原因を分析し、その原因を解決する。心の中では、その原因について絶えず思索し、その原因によって煩悶を生じる価値があるか、これらの煩悶が生じる結果は何か、どれだけの問題を解決できるかを分析する。それから、私たちが昔から小さい頃から生じた煩悶はどれだけあったかを思い返し、それらの煩悩はどのように解決され、どのように消えたか、最終的な結果は何かを考える。さらに、私たちの過去の生生世世の無量劫における煩悶はどれだけあったか、苦悩はどれだけあったかを考える。それらの苦悩と煩悶は皆、私たちの業報であり、報いを受ければ過ぎ去る。私たちの今世の煩悶も同じで、どうなっても過ぎ去る。なぜ正しくこれらの煩悶を見て、心の結を解き、如理に解決しないのか。
私たちは、学仏する人々は皆菩薩であると思惟する必要がある。菩薩の職責は、広く菩薩道を行うことである。だから、いつも小さな「我」の煩悶に浸ることはできない。私たちは必ず心の幅を広げ、未来に目を向けなければならない。私たちの未来は、無量劫の中で、十方諸仏国土において、広く菩薩道を行い、無量の衆生を広く救度することである。菩薩の心の中には、個人の貪、嗔、痴の煩悶はあってはならない。ただ、仏法のより高い証量を得るために生じる上煩悶、より良く衆生を教化するために生じる煩悶、正法を永続して伝えるために生じる煩悶だけがあってはならない。心の中で常に未来世の菩薩道の行を考える限り、目の前の小さな煩悶に縛られることはなく、心の幅を広げることができ、心の中を晴れやかにすることができる。未来に目を向けることは、極めて重要である!
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