衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

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日常開示

2018年12月22日    土曜日     第1 回の開示 合計261回の開示

戒体自体には非を防ぎ悪を止める功徳の作用がある

戒律を守る点において、修行者が身と口で悪い行いを犯さないことはすでにとても良いことだが、意業を守ることは難しい。もし心が常に正しい念にとどまっていれば、邪念に出るチャンスはなくなる。これこそが戒を守ることである。正しい念とは何か?仏を念じ、法を念じ、聖賢の僧を念じ、諸行無常、諸法無我、涅槃寂静を念じることである。心を修める法を多く深く理解すると、意業は減少する。定力が強まると、意業も減少する。因果の道理を理解すると、心の警戒心が高まる。

戒を守るには、まず道理を理解することが大切であり、無理やり自分の行動をコントロールするのではない。道理を明らかにすると、意根が薫染され、意業は自然に現れなくなる。すべての修行の中で、道理を理解することが最も重要である。知見は自分の身・口・意の行いを導くことができる。次に、定が深くなると煩悩を抑えることができる。最後に、原因を識り結果を理解し、この事の起こりがあの事の結果を招くことを理解し、身・口・意のすべての業行が行われる瞬間、自分自身の如来蔵にすべて記載されており、果報は必ず実現することを理解すると、心の警戒心が高まる。これらにはすべて一つの過程がある。戒を受けて戒体を得た後、戒体自体には非を防ぎ悪を止める功徳の作用がある。菩薩の戒体についてはさらにそうである。菩薩の戒は心を戒めるもので、完全に守り、戒を犯さないようにするには、一定の菩薩の果位まで修行しなければならない。それまでは、軽重にかかわらず、犯すことが免れない。菩薩の戒を受けることには非常に多くの利点がある。自分自身の警戒心が高まり、さらに護法の善神の守護が加わることで、道業はすぐに進歩する。

——生如法師の開示
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