衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

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日常開示

2019年01月01日    火曜日     第1 回の開示 合計290回の開示

色蘊とは何か

色とは色蘊であり、五蘊の一つである。相貌・形体・色彩を有し、顕色・形色・表色・無表色を含む。後三者は法処所摂色に該当する。顕色は青黄赤白、形色は大小円方長短広狭、表色は色の形状・姿勢・身体の運動と動作・行来去止など、無表色は色相に顕現する美麗・醜陋・魅力・韻味・気質・学識・教養・平静・憤怒・明朗・情熱などを指す。法処所摂色は色声香味触の上に顕現する法塵であり、意根に対応し意識によって弁別される。色にはさらに衆生色・男女の色相・宇宙山河大地・植物鉱物・宮殿家屋などの無情物も含まれる。

『金剛経』に曰く:「若し色を以て我を見、音声を以て我を求むるは、是の人は邪道を行じ、如来を見る能わず」これは如来や法身仏・真仏を見るに当たり、色相や声相を以て求めてはならないことを示す。色声六塵相を有するものは真仏ではなく、報身仏・応身仏・化身仏であり、三十二相八十種好を具えるが、これらは化現された生滅有る仏である。魔王波旬も福力の故に仏の相貌を化現し得る。仏涅槃後、第四祖優波鞠多は波旬に釈迦仏の身相を化現させ拝謁させた。波旬は実際に仏の色相を化現し、林から歩み出て弟子たちを従えた。優波鞠多は一見して本物の釈迦仏と錯覚し、思わず礼拝した。波旬は礼拝に耐えきれず原形を現した。故に如来を見るには色相に執着せず、色相から見てはならない。

——生如法師の開示
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意根が自ら証得して初めて真の智慧となる

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