衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

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日常開示

2019年01月04日    金曜日     第1 回の開示 合計296回の開示

心不相応行法とは何か(二)

如来蔵に触証する以前に、まず煖・頂・忍・世第一法が現れる。煖位・頂位・忍位・世第一法とは、如来蔵を参究するか、あるいは阿含経中の五蘊無我の理を修学し、内面において漸次五蘊を我と認めることを否定し、智慧が次第に清明となり漸次明瞭となり、最終的に完全に五蘊が我に非ず我と異ならざることを認可し、我見を断除し、世間の凡夫を超越して世間第一の人となることを指す。

完全に五蘊を否定した後に、七識を我と認めることを否定した後に、六根・六塵・六識を否定した後に初めて、真実の我を証得し、悟りを開き明心する。かつて禅宗の祖師が「五陰を打ち殺してこそ汝の法身を生かすことを許す」と説いたのはこの意であり、先ず五蘊の真実性を否定し、五蘊を我とする我見を断ってこそ、清浄で真実の法身が生き生きと心中に顕現し、即時にこれが自性であること、これが如来蔵であること、これが法身であることを確認する。一死一生の後に、成仏の基礎が確立される。

両者の間には極めて短い時間内、五蘊を否定する刹那に如来蔵を見出す場合もあるが、それも我見断除後の事である。一般に明心の時あるいは後に我見を断つと言われるが、実際には五蘊と七識を否定せずして如来蔵を証得することはできない。五蘊七識の霧が如来蔵の顕現を遮蔽し、魚目混珠の状態で暫時真偽を弁別できないためである。

一旦我見を断ち偽りを否定すれば、真実が躍然として現れ、如来蔵を証悟する。偽りの五蘊を否定しなければ智慧の眼が現起せず、如来蔵を識別できず、引き続き参究を重ね、我見を断除した後に初めて五蘊十八界に属さない如来蔵を見出す。これは一瞬の事象に属するかもしれない。

——生如法師の開示
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