衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

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日常開示

2019年01月21日    月曜日     第1 回の開示 合計336回の開示

衆生は無始劫より無明を有する

衆生は無始劫よりこのかた、無明を有しており、心は一度も明けたことがない。もし衆生に無明がなくなれば、無明が断じ尽くされた時、即ち仏である。衆生はかつて仏になったことがなく、もし衆生が仏になったことがあれば、永遠に再び衆生に戻ることはない。円覚経にこのくだりが説かれている。世尊は例えを挙げられた:金鉱から精錬された純金は、決して再び金鉱に戻らない。つまり成仏後は永遠に衆生に戻らないという意味である。これもまた衆生が無始劫より無明を有していることを説明しており、これに道理はなく、法爾如是である。楞厳経第四巻で阿難が世尊に「無明はどこから来たのか、なぜ無明があるのか」と問うた時、世尊は「無明には来処がなく、原因なく存在する。もし原因があるなら、それは無明ではない」と答えられた。

——生如法師の開示
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