中国の漢字の意味を、我々は深く思惟分析研究しなければ、その中の真実の義を理解できない。文字に対する障碍がない者こそ、容易に正しく仏法を理解し、智慧が絶えず生起するのである。文字障のある者は一節の文字を見ても、その実質的意味を真に理解できず、往々にして誤解し、智慧を向上させることができない。衆生同士の交流において、言語文字に障碍があると、相互理解と意思疎通が阻まれ、交際に苦悩と無念が生じる。人意を善く解する者は、言語文字の障碍が少なく、他人の心理を見透かすことに長け、人との意思疎通が容易であり、人間関係における障碍も少ない。
各人の文字理解の程度には大きな差異がある。なぜ一部の者が文字理解の程度が極めて低いのか。心が粗雑で繊細さを欠き、定力不足、智慧無きこと、福德の欠如が、最も主要な問題点である。文字に明らかにその意味が存在しないにもかかわらず、一部の者がそのように理解し、自らを振り返って反省せず、内観を試みようとしない。多くの者は他人ばかりを照らし、自己を照らさない。これが我執の重い現れである。そして自らの理解が正しいと確信し、躊躇なく他人を否定し、論争を挑む。この衝動性こそ禅定不足の表れであり、智慧が無く、自他を正しく評価できない結果である。賢明な者は心が極めて細やかであり、他人をありのままに観察できると同時に、真実に自己を内省できる。観察力と内省力が無いことは、定力の弱さと智慧の不足を示している。
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