世尊は比丘たちに告げられた:汝らは色陰の無常を観行すべきである。色陰の無常を如実に観察する者は、正しい観行を行っている。もし色陰の無常を正しく観行すれば、色陰に厭離の心を生じ、色陰に厭離の心を生じれば、色陰への愛着貪恋を断じる。色陰への愛着貪恋を断じ尽くした者は、心が解脱した者である。
同じく受陰・想陰・行陰・識陰の無常を観行し、受想行識の四陰の無常を如実に観行する者は、正しい観行を行っている。正しい観行を行う者は、受想行識の四陰に厭離の心を生じ、厭離の心を生じた者は、受想行識の四陰への愛着貪恋を断じ尽くす。受想行識の四陰への愛着貪恋を断じ尽くした者は、心が解脱した者である。
このように、比丘よ、心が解脱した者は、もし自ら解脱を得たことを証明し、無余涅槃に入ることができれば、自ら証明することができ、他人の証明を必要としない。彼はこう証するであろう:我が無量劫の生死輪廻はこの一生で既に終わり、再び生死はない。我が清浄な梵行は既に建立され、心は清浄となり、もはや欲想はない。この一生で我が成すべき了脱生死の事業は既に成し遂げられた。我は自ら知る、未来世の欲界の有身・色界の有身・無色界の有身を受けることなく、三界に再び出生せず、命終すれば無余涅槃に入るであろうと。
世尊は再び比丘たちに告げられた:汝らは五陰の苦・空・無我を観行すべきである。このように観行する者は、正しい観行を行っている。正しい観行を行う者は、五陰に厭離の心を生じ、五陰に厭離の心を生じた者は、五陰への愛着貪恋を断じ尽くす。五陰への愛着貪恋を断じ尽くした者を、我は心が解脱した者であると説く。心が解脱した者は、もし自ら解脱を得たことを証明しようとすれば、自らそれを証明することができる。彼はこう証するであろう:我が生は已に尽き、梵行は已に立ち、所作は已に辦み、自ら知る「有を受けることなし」と。この時、比丘たちは仏の説かれた法を聞き、大いに歓喜し、信受奉行した。
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