衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

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日常開示

2018年10月22日    月曜日     第4 回の開示 合計81回の開示

大乗顕識経講解

原文:

如是我聞。一時薄伽梵。在王捨城。迦蘭陀竹林,與大比丘衆。千二百五十人俱。皆阿羅漢。諸漏已盡。無複煩惱。逮得自在。心善解脫。慧善解脫。

「漏」とは貪瞋痴の煩悩を指します。「尽」とは断尽することで、貪瞋痴の煩悩をすべて断尽したら、「漏尽」といいます。我見を断って初果を証得した後、初禅定を修めて、一部の煩悩を断ち始め、三果を証得します。初禅定が発起した後、まず貪欲の煩悩を断ち、次に瞋恚の煩悩を断ち、さらに初果の三縛結の断除を加えると、五下分結が断たれます。四果のときに五上分結を断ちます。この時、凡夫異生の散亂心、我慢心、三界への貪愛、我執、我愛などはすべて断たれ、つまり意根の自我に対する執着性が断尽されます。すべての貪瞋痴慢疑悪見などの見思惑がすでに断尽され、三界の法に少しの貪愛もなく、これらの煩悩がすべて断尽されたら、「漏尽」です。もし煩悩があれば有漏で、有漏であれば三界から出られず、依然として三界で苦しみます。

たとえば三果の人はまだ我慢や我執の煩悩が断尽されていないので、直接三界から出られません。中陰身の中で再び思惟観行し、煩悩を断尽してから三界から出られるかもしれません。ある三果の人は命終して天に昇った後、天上で残りの煩悩を断ち、それから三界から出られます。煩悩は自分を三界六道に束縛し、出ることができないので、すべての衆生は煩悩を断ち切ってから、初めて三界から出られます。四果の阿羅漢になって初めて、尽きることのない世間の智慧を持ち、三界世間法を了尽できます。つまり阿羅漢たちは自分の五陰をどうやって滅尽させて世間から出るかを知っています。これは小乗の人の智慧に属します。阿羅漢たちは一切智を具え、生死から出る智慧を具え、慧解脱と呼ばれます。

煩悩を断ち切って初めて自在を得られます。この「自在」とは何を指すのでしょうか。つまり七識心の自在を指します。煩悩の束縛がなくなり、世間の一切の法に対して、心に掛礙がなく、心が解脱し、束縛を受けません。もちろん、世間の一切の法には大乗法は含まれません。大乗法に対して、阿羅漢はまだ自在ではありません。なぜなら彼は大乗法を証得していないからです。しかし五陰世間の世俗生活の中で、彼の心は自在で、どんな六塵の境界にも束縛されず、三界への貪愛の結縛がすべて断たれています。彼らの心は既に解脱を得て、智慧も既に解脱を得ています。心が解脱するとは心が自在になったことで、智慧が解脱するのは少なくとも慧解脱の阿羅漢です。

阿羅漢は慧解脱と俱解脱の二種類に分けられます。慧解脱の阿羅漢は初禅定まで修めており、四禪に至っておらず、五通もありません。彼は智慧の面で解脱を得る能力があります。何をもって智慧によって解脱を得たというのでしょうか。つまり彼はこの智慧によって三界から出ることができます。彼は二、三、四禅定を持っていないけれども、初禅定を持っており、煩悩が断尽され、煩悩や我執の束縛がないので、命終に五蘊十八界を滅尽させ、三界から出ることができます。解脱の智慧があれば、もう世俗法に縛られなくなり、これを心善解脱、慧善解脱といいます。

——生如法師の開示
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