衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

生如法师のウェブサイトロゴ

日常開示

2018年11月17日    土曜日     第1 回の開示 合計162回の開示

能取所取空を観行し我見を断つ方法

能取するのは七識であり、所取するのは六塵の万法である。能所空を観察するには比較的良好な定力の状況下で観行思惟を行う必要がある。前提条件として:第一に禅定が具足していること、第二に五陰虚妄の道理を大凡理解していること。その後、理解した内容に従い順次観行思惟を行い、能取する七識心の空性を観行し、明確かつ透徹した観察を要する。内心において六識の虚妄性と非我性を認め、所取する六塵の万法(五陰世間法を含む)を明確かつ透徹して観察し、その虚妄性・生滅性・変異性・不実性を観行する必要がある。    

六塵の虚妄性は観行し易い。『雑阿含経』において世尊は如何に六塵の虚妄を観行するかを教え、経文を読みながら六塵の虚妄性を逐条的に思惟観行するよう指導された。経文に随って観じ、経文に随って思惟し、思惟が透徹すれば道理を認めるに至る。思惟せず観行しなければ、意識は表層的に道理を知るのみで無益である。論理的思惟によって根拠と証拠を見出し、理論の正当性を証明せねばならない。観行が成就した時、内心は「ああ、然り」と悟り、意根が道理を認める。

観行には常に過程が存在し、最終的に内心が「斯くの如きか」と悟る時、真の了知が成立する。これが意根の認可である。然らざれば意識心の表層的な知に留まり、意識の知は往々にして大した效用を生まない。道理を口にできる者は多いが、実際に内心が認めていない場合、意根が理解せず、何故かを究明しないためである。意根を理解させる為には、意識心がこれらの理論内容を思惟観行し、観行過程を通じて意根に「是れが真実、是れが道理」と潜在的に影響を与え、論拠を充分に提示する必要がある。意識が分析した各内容は意根に伝達され、意根はこれを了知し道理を明らかにする。意識が観行思惟しなければ意根は知り得ず、我見を断つことができない。

——生如法師の開示
前の記事前の記事

業果は消えることができるか

次の記事 次の記事

意識はどのように意根と協力して五蘊を観行するか

ページのトップへ戻る