我執とは、五陰の我に対する執着を捨てないことである。我執を断つことで解脱し、五陰に縛られず、十八界に縛られず、三界の世間のいかなる法にも縛られない。智慧を持って三界を離れることができる。これは四果羅漢の境地である。彼らは我執を断つ後、もはや五陰の我に執着しなくなり、寿命が尽きると自身を滅ぼし、無余涅槃に入る。
法執は、法我執とも呼ばれる。蘊処界が和合して生み出されるすべての法の中に「我」があり、それが「我」であると執着することである。地前の菩薩が一分の無生法忍を修めると、一分の法無我を証し、一分の法執を断つ。地前の菩薩は惑を留めて生を潤すため、五蘊の身を保ち、わざと我執を完全に断ち切らないで、法執を断り始める。蘊処界が和合して生じるすべての法の中に「我」も「我がもの」もないことを証し、法執を完全に断つと、満ち足りた仏となる 。
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