ある程度の悟りを得た修行者は、しばしば自分自身を振り返り、自分の内心の深くにある「我」がいつも頭を出そうとすることに気づくことができる。これは良いことであり、悟りのない人には気づかない。頭を出した「我」に気づいたときは、この「我」を観察し、それが一体どこから来て、どこへ行くのか、どのように生じ、どのように消え、どのように働き、心の行いはどうで、何を目的としているのかを見る。常にこのように観察すれば、必ず重大な発見があるはずだ。
このように修行する人は、わざと自分自身を抑える必要はない。煩悩が頭を出すようにして、それを捕らえて裁判する。その来歴や行方を明らかにすれば、大きな収穫がある。これから煩悩を断つときも同じで、わざと煩悩を抑えるのではなく、煩悩が起こるところを見て、素早く捕らえ、しっかりと裁判し審査すれば、きっと改めることができる。修行はやはり娑婆世界で行うほうが良い。あちこちに賊を捕らえる機会がある。賊を捕らえることができれば、それを識ることができ、自らの宝蔵がもう損失することはなくなる。
5
+1