衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

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日常開示

2019年01月18日    金曜日     第3 回の開示 合計330回の開示

なぜ思惟が過多になると疲労を感じるのか?

問:色身は四大で構成され、色身上の四大も絶えず流転している。人間は飲食・呼吸等により体外の四大を摂取し、身体に必要な四大で構成された栄養物質に転換する。同時に人体の四大も絶えず消耗し、各種排泄物を通じて排出される。この一切の運転は如来蔵のみが有する機能である。思考時、如来蔵は絶えず勝義根の四大を摂取し法塵を変現させ、意識・意根が了別するよう供給する。故に思考過多になれば勝義根の四大栄養が過剰消耗し、大脳は疲労を感じる。勝義根の四大栄養供給が不足すれば、思惟能力は低下する。過度の疲労時には睡眠を通じ、如来蔵が四大を運転させ勝義根の四大栄養を補充する。このように考えて正しいでしょうか?

答:独影境の法塵は勝義根の四大物質を消耗しない。法処所摂色は勝義根内の四大栄養物質を消耗する。しかし意根と意識が運行する際には勝義根と神経元に触動し、生体電流を放出し、四大栄養物質を消耗する。従って思惟過多時には大脳疲労を感じ、エネルギーが再集積するまで休息を要する。

識心が動くや、大脳神経は躍動し生体電流を放出しエネルギーを放出する。仮に入定して六識が動かなくとも、意根は微細に了別し密かに活動し続け、少量の四大栄養を消耗する。意根の活動が軽微であれば消耗は減少し、入定が深まるほど意根の活動は軽微化し消耗は更に減少する。無想定に入れば数劫時間あるいは更に長期にわたり定持可能で飲食を要しないが、身体は痩弱化する。

——生如法師の開示
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