衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

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日常開示

2019年01月19日    土曜日     第3 回の開示 合計334回の開示

智慧的な認知によって、多くの道理を明らかにすることができる

我々の視野には限界があり、地球全体を見渡すことはできない。たとえ地球を見ることができなくても、自らが地球の上に立ち、地球の上で生活し、地球の支えと養育に依存していることを知っている。このような認識は現量(直接知覚)によるものか、それとも理屈上の認知であろうか。明らかに理屈上の認知である。なぜならこの理を理解すれば、我々が確かに地球の上に存在すると判断できるからだ。仏陀が説かれた数多くの教えも同様に、即座に体得することは難しいが、累世にわたる善根を積み、択法眼を修得した段階で、理に適った思惟と判断を通じて、仏法が正しく解脱を得させ仏道を成就させる道であると理解できる。

例えば阿羅漢たちは未だ涅槃に入っていなくても、教法を学び思惟することによって「我執を断ち、三界への貪愛を断尽すれば解脱を得る」と理解し、この方法で確実に涅槃に入れると確信する。たとえ涅槃に入る瞬間を待たずとも、その修行方法が涅槃へ導くことを知ることができる。これこそ仏陀が説かれた理屈に基づく思惟判断によって導き出された正しい結論である。多くの事柄は自ら経験しなくとも存在の有無や正誤を判断でき、智慧的な認知によって道理を明らかにすることができる。智慧がなければ、たとえ身をもって経験してもその本質を理解できない。諸道友に忠告する。自ら知り得ない事柄について「違う」「誤り」「存在しない」「間違い」と安易に断じてはならない。常に自らの智慧がどの程度に達しているか、正しい思惟推理判断が可能かを量りなさい。特に仏陀の説かれた法に対する誤った判断は誹謗となり、仏法を誹謗する結果は極めて深刻である。

——生如法師の開示
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