衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

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日常開示

2019年01月31日    木曜日     第1 回の開示 合計363回の開示

福徳と功徳の区別と関連

問:梁武帝が寺院を建立し僧侶を供養したが、達磨大師は功徳が無いと言われた。ではそれは福徳となったが、どうすれば功徳を得られるのか。

答:功徳は性徳であり、心性の面に備わる徳の力である。例えば煩悩を降伏させるのは功徳であり、無漏の心を修めるのは功徳である。智慧を得るのは功徳であり、戒・定・慧の三つが共に増進し円満に向かうのは功徳である。あるいは完全に具足し、自ら受用できると同時に他者を利益させることもできるのが功徳である。一般的に、功徳は容易に退失せず、尽きることなく受用でき、成仏に至るまで続く。一方、福徳は主に自己受用であり、享楽し尽くすことが可能で、滅失し得るものであり、究極的なものではなく、福徳を悪業に用いない保証もない。しかし功徳は心を次第に清浄に転じさせ、福徳もまた増長させる。もし福徳と功徳を同時に得れば、福徳は堅固となり絶えず増大する。    

とはいえ、福徳も修めねばならない。福徳が不足すれば功徳も現れ難く、両者は相互に補完し合う関係にある。ただし修得した福徳を世俗的な享楽に用いてはならず、人天の福報を求めず、その福徳を全て仏道成就へ回向すべきである。より多くの功徳を修めようとするなら、戒定慧を勤修し、貪瞋痴を消滅させ、菩薩道を広く行じ、三蔵十二部経典を受持読誦し、禅参りと定修習に励み、止観双運を実践し、定慧等持を保ち、我見を断除し、明心証悟を期求し、地地増上して修業を進め、円満なる仏果を成就すべきである。これら全てが功徳であり、しかも大功徳であって、円満なる功徳に至るまで続くのである。

——生如法師の開示
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