衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

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日常開示

2019年02月15日    金曜日     第2 回の開示 合計404回の開示

妄想を除かず真を求めざるは何れの心ぞ

永嘉禅師曰く「妄想を除かず真を求めず」と。是れ真心の角度より説く所にして、真如に妄想無く、故に亦妄想を除かず。真如自体は修行せず、戒定慧を修せず、明心見性を求めず、成仏を欲せず、故に自らを証得せんとする願望無し。永嘉大師は智慧甚深なる得道者なり、故に真心の体性を現観し、開示する所は全て実相心に関する真理なり。悟らざる者は、話す時必ず覚知心・意識心の角度より発言し、尽く生滅法・虚妄法に属し、第一義諦に触れず。道有る者と無き者、二者の智慧は往々にして天淵の差有り。我々の意識妄心の体性は、学仏修行の後、常に如何にして妄想雑念を除去すべきかと琢磨す。如何にして心を清浄ならしむべきか。如何にして貪らず瞋らず癡せざるべきか。如何にして真心を証得し自性を見出し得るか。而して真心は此等の事を思わず。彼は如何にして解脱を得んとするか。如何にして成仏すべきか。如何にして戒律を守持すべきか。如何にして定と慧を修すべきか。真心は此等の事を考慮せず、此等の事は皆彼と関わり無く、彼に生死無きが故に真心は修行せざるなり。

龐蘊居士の偈:心は境の如く、実も無く虚も無し。有りても管せず、無くても居らず、賢聖に非ず。事を了する凡夫は易きに復た易し、即ち此の五蘊に真智有り。十方世界一乗同じく、無相の法身豈に二つ有らんや。若し煩悩を捨てて菩提に入らば、何方に仏地有るかを知らず。

——生如法師の開示
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静中の定は更に智慧を生じ易し

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