衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

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日常開示

2018年10月18日    木曜日     第1 回の開示 合計69回の開示

父子合集経選講

原文:

大王。彼無邊稱王。複更思惟。以我所有。善根力故。令四天下。降雨黃金。作是念已。於四天下。皆雨黃金。所以者何。皆由無邊稱王。於往昔時。與諸衆生。共修善業。之所獲得。

親と子供にも共業が存在する。親と子供が共業を持たない場合、たとえば親が貧しさの果報を受けるべきで、子供が富貴の果報を享受するべきなら、子供が成長して家を出て、他の場所に行けば裕福になれるが、親はその恩恵を享受できない。これは彼らが共業を持たないことを示している。衆生は共に地球で生活しており、地球上の全ての人類に共業がある。あるいは一つの小さな都市で生活している場合、この小都市の人々にも共業がある。だから私たちが富貴の果報を得たいなら、求める必要はなく、本当に布施をして福を修めればいい。誰が修めれば誰が得る。修めなければ得られない。善業には限界も限度もなく、この富貴の業を君が修めても私ができなくなるということではない。誰が修めれば誰が得る。全ての人が修めれば、全ての人が得る。

だから共業は衆生を一つの場所に集めることができ、不共業は衆生をそれぞれ離れさせる。極楽国土の衆生は、彼らの共業によって天衣や天食が自然に現れ、至る所に七宝があり、黄金が地面を敷き詰めている。これは極楽国土の衆生の共業である。一方、地球人は黄金を宝物として身につける。地球人が福報をほとんど享受し尽くした時、地球上で最も価値のあるものは鉄になる。その時の人類は、一片の破れた鉄を手に入れると宝物として身につける。なぜなら衆生が福を失っており、福のない共業が悪い物を引き寄せ、宝物がなくなるからである。

地球が形成されたばかりの時、至る所に甘美な甘泉があり、自然に地肥が生えていた。当時の人類は二禅天から降りてきたもので、福徳が非常に大きかった。その後、衆生が欲心を生じ、福徳が減少し、甘泉と地肥が現れなくなり、天然の梗米が生え始めた。その後、福報が更に減少し、天然の梗米も生えなくなり、人類は五穀を栽培しなければならなくなり、今までも人力で作物を栽培している。今の地球上で、非常に栄養のある五穀や植物について、私たちはその名前さえ聞いたことがない。これは私たちが福徳を消耗した結果である。私たちは今、福の薄い衆生であり、これからの衆生は私たちよりも福が薄く、美味しい穀物も全て消え去り、彼らは食べることも見ることもできない。だから私たちの生活の全ては、私たちの福報から来ている。

これらの福報はどこに存在するのか。全て如来蔵の中に存在する。如来蔵は私たちの銀行である。もし私たちが銀行の預金を全て消耗し尽くしてしまえば、貧しく卑しい人になる。もし銀行に預けた福徳を取り出さないか、少なく取り出して享受するなら、私たちは富貴な大長者になる。修行者は多く預けて少なく使うべきで、取り出した後、再びそれを用いて衆生を利楽する。こうすればまた福を預けることができ、銀行の預金はますます多くなる。利子が利子を生むように、福徳が修められて完璧になれば、成仏することができる。

——生如法師の開示
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