衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

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日常開示

2018年11月14日    水曜日     第3 回の開示 合計158回の開示

仏の摂受力は催眠に似ている

勇施犯重悟无生の物語は、勇施菩薩が出家して具足戒を受けた後、殺戒と淫戒の二つの重戒を犯し、命終に地獄に堕ちて苦しむべきであったというものである。彼は自分の果報を恐れて、文殊菩薩に救いを求めに行き、文殊菩薩は彼を連れて仏に会わせた。仏は勇施菩薩に、勇施比丘という人が本当にいるか、勇施比丘が殺したこの人が本当にいるか、殺人ということが本当にあるかを分析した。勇施菩薩はその場で思惟した後、すぐに明心して悟り、本当の菩薩になった。単に我見を断って初果を証得するだけでなく。勇施菩薩が仏に出会ったのは非常に幸運で、地獄に落ちることもなく、また証悟して菩薩になり、三悪道の業も免れた。

世尊が勇施菩薩に無生理を説いたとき、使ったのは催眠法である。勇施菩薩は当時極度に恐慌し、恐れ、恥じ入り、心は乱れていたが、仏は彼の心を安定させ、人無我を思惟させ、背後の造作者を思惟させることができた。最後に勇施菩薩の意根が無我の理を確認し、造作者を証得し、我見を断ち、また明心した。仏に出会って自分を催眠させるには、どれほどの善根と福德が必要なことか。私たちは皆、多くの福を修めるべきで、将来仏に出会えば、自分を催眠させて、地上菩薩になり、聖人になることができる。

また大涅槃経において、世尊が阿奢世王に心の結び目を解くときに説いた我見を断つ部分の内容は、非常によい。阿奢世王は父を殺した後、報いを受け、内心は非常に不安であった。仏に会った後、仏は彼の業を消し、阿奢世王に「あなたの父という人は本当にいるか。あなたは本当にいるか。父を殺すということが本当にあるか」と尋ねた。阿奢世王はそれを聞いて思惟し、ないと言った。その後、无根信を証得したが、初果や初果向を証得しなかったのは、やはり父を殺す業障が妨げているためである。

これも仏が衆生に対して使う催眠法で、福德のある人にしか出会えない。だから福德は非常に非常に重要であり、自分のためだけに、福を修めようとしない人は、一言で言えば「愚か」である。

——生如法師の開示
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