衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

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日常開示

2018年12月25日    火曜日     第5 回の開示 合計273回の開示

意識がなぜ蘊処界を縁じることができるのか

意識が蘊処界を縁じることができるのは、意根が先に縁じ、その後で了別の究竟を決定するからである。これによって初めて意識が蘊処界を縁じることができる。もし意根が蘊処界の様々な相貌を縁じることができなければ、意識は縁じることができない。意識はどのように出生するのか?意根が法塵と接触し、意根が何らかの作為を望む時、第八識が意識を出生させて造作させる。もし意根が法塵に触れた後、作為を望まなければ、第八識は意識を出生させて造作することはない。ならば、意識が蘊処界相を縁じるのは、必ず意根が最初に蘊処界相を縁じたからである。意根が蘊処界相を縁じない理は存在しない!  

いかなる時であれ、意根は刹那刹那に第八識に依って蘊処界相を縁じ、蘊処界と須臾も分離できない。眠って夢がない時でも、昏迷状態でも、無想定の中でも、死亡して色身を離れていない時でも、中陰身の中でも、意根は常に蘊処界と共にあり、蘊処界を縁じ続ける。蘊処界がない時、五蘊がない時にのみ、これに当てはまらない。

意根に縁じない法があるならば、意識はどうして縁じることができようか?どのような法においても意根がなければ、そもそも意識の存在もあり得ず、ましてや意識が縁じることなどできない。意と法の因縁によって意識が生じる。これは世尊の聖教量であり、世尊自らの聖なる言葉である。どうしてこれに背く理があろうか?意根が黙々と一切の法を容れることは、世尊が楞厳経で自ら説かれたことである。どうしてこれに背く理があろうか?

——生如法師の開示
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